〈旅行新聞3月1日号コラム〉――移動と旅 乗客として運ばれているだけでは……
2026年3月1日(日) 配信

2月初旬の大雪に見舞われた日、九州にも雪が降った。スーツケースを駅まで転がしていくことは不可能と感じ、タクシーを呼んだ。運転手は人好きのする性格で、前職は新幹線を運転していたという。「定年退職となり、3カ月前からタクシーの運転手をしています」とバックミラー越しに笑顔で語り出した。
白髪の混じる運転手の後ろ姿を見ながら、生涯「人を乗せる仕事」を歩み続ける人なのだと感じ入った。
車窓の外は一秒ごとに白く染まり、異世界へと誘われていく。タクシーの運転手は、人生の何かを取り戻すかのように饒舌だった。その日は衆議院総選挙の日で「今晩は投票箱と選挙管理委員会の委員を送り届けるために残業です。慣れない道が大雪になると不安でね、とくに暗い夜道は……」などと他愛ない会話のうちに駅に着いた。
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小倉駅は雪模様だった。灰色の空から斜線上に吹雪いて、何度も身震いした。博多方面から新幹線が白蛇のように不気味な目を光らせながらホームにすべり込んできた。
関門トンネルを越え、徳山駅周辺の石油化学コンビナートは白銀の世界に、煙突からオレンジ色の炎を吐いていた。前時代的でありながら、近未来的でもあり、終末感も漂わせる魅惑的な街。広島駅も雪だった。しかし晴れの国・岡山駅は快晴。次の神戸駅は雪、その次の新大阪駅は青空、続く京都駅は雪空と交互に進む。名古屋駅は晴天。箱根辺りから再び雪に覆われ、新横浜駅も雪景色だった。
高速で走り続ける新幹線の窓はさまざまな景色を映しながら、すべてが瞬時に流れ去る。速度という大きな恩恵と引き換えに、同じくらい大きな何かを喪失してしまった気になる。
以前、石川県金沢市で全国女将サミットが開催されたあと、翌朝、金沢駅から米原経由で博多まで新幹線を利用し、長崎のハウステボスでの取材に向かった。日本列島をS字に移動する、その大部分を新幹線で過ごした。長い線路上を高速で移動しながら、自分はどこにも足跡を残しておらず、単なる移動と旅は異なるものだと感じた。
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雪の翌週、神奈川県から東京に向かい、北陸新幹線で長野、富山、金沢、加賀温泉郷を通過し福井県の芦原温泉で仕事をした。その後、敦賀、米原、名古屋経由で出発点に戻った。関東から中部・北陸、そして琵琶湖の横を通って日帰りで一周したことになる。東京は春の陽気だったが、日本海側は分厚い雪雲に覆われ、別の顔を見せた。新幹線で荷物のように運ばれながら、時折見える景色を感慨薄く眺め、何度も眠りに落ちた。
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その日、記憶に残っているのは新幹線ではなく、敦賀から米原まで向かう特急電車の中だ。日が落ち車内は薄暗い電灯に照らされ、多くの乗客は酒に酔っていた。窓の外は闇で何も見えず、歪む自分の顔のみが映る。
意志もなく乗客として運ばれているだけでは、旅ではない。熱いコーヒーが飲みたいと思い、座席からずれた体を起こしたとき、ふと先述のタクシー運転手の言葉が甦ってきた。「大阪から九州まで1日に2往復半することも多いですよ」。彼は毎日、長距離を移動する新幹線の運転台に一人で座る人生を過ごした。彼にとって「旅」とは何だろう。あの日、タクシーのミラー越しに聞けばよかったと思った。
(編集長・増田 剛)


