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「観光人文学への遡航(74)」 杉原千畝を知っていますか

2026年8月11日(火) 配信

 杉原千畝を知っていますか。

 私は教員になってから、杉原千畝の功績と、それを支えた旅行会社の人々の行動について毎年授業で取り上げているのだが、最近学生の認知度が低下しているように感じる。

 かくいう私も杉原千畝を知ったのは2005年だった。妻が杉原と同じ愛知県立瑞陵高等学校(旧制第5中学)出身ということもあって、彼女から、有名人の先輩として江戸川乱歩と杉原千畝という名前を前々から聞いていて、05年に反町隆史主演のテレビドラマ「日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ」が放映されたのを妻と一緒に見たのが初めてだった。

 その後、15年に唐沢寿明主演で映画が上映されたが、その後は杉原を題材とした映画やテレビドラマは制作されていない。娘に聞いても歴史の授業では教えられていないとのことなので、映像作品が新しく制作されなかったら、人はどんどん忘れていく。

 杉原千畝は、日本の外交官として第二次世界大戦中に多くのユダヤ人難民の命を救った人物である。1940年、リトアニアのカウナスにあった日本領事館で領事代理を務めていた杉原のもとに、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民が、日本を経由して第三国へ渡るための通過査証を求めて押し寄せた。杉原は外務省に査証発給の許可を求めたが、必要な条件を満たさない者には発給しないよう指示された。

 しかし杉原は、目の前で命の危険に晒されている人々を見捨てることはできないと考え、自らの責任で査証を発給する決断を下した。約1カ月にわたり昼夜を問わず査証を書き続け、カウナスを離れる際にも、列車の中から最後まで書き続けた。発給された査証は約2100通に上り、家族を含めて約6千人が日本を経由して安全な地域へ逃れることができた。

 しかし、戦後、杉原は外務省から退職を求められ、形式上は依願退職した。退職後の杉原は、得意のロシア語を生かして貿易会社の仕事などに就いたものの、職を転々とし、外交官時代とは異なる厳しい生活を余儀なくされた。

 杉原に救われたユダヤ人たちが戦後その消息を探し、外務省に人物照会した際、「該当する人物はいない」と回答された。結果として、救われた人々が杉原を見つけ出すまでには長い年月を要し、1968年になってようやく再会が実現した。

 1985年、杉原はイスラエルのヤド・ヴァシェム賞「諸国民の中の正義の人」に認定された。しかし、日本政府によってその功績が正式に顕彰され、外務省が遺族に謝意と謝罪を示したのは、杉原の死後であった。組織の命令と人道的良心が衝突するなかで、一人の人間が自らの責任で命を守る道を選んだその功績は、世界で称賛を浴びている。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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