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「観光人文学への遡航(63)」 新たなる高等教育の多様化への要請

2025年9月2日(火) 配信

 終戦後の教育改革は、学校体系のメインストリームとして6・3・3・4制の単線型教育制度を導入すること、(旧制)専門学校と師範学校を大学に統合することという大きな路線変更に注力した一方、各種学校に関しては、まったく手つかずのまま、傍系という位置づけは変わらず、学校体系には組み込まれなかった。

 1971年6月、中央教育審議会は「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」を答申した。この答申は「46答申」と呼ばれ、明治初年と第2次世界大戦後に行われた教育改革に次ぐ「第三の教育改革」と位置付けられ、学校教育全般にわたる包括的な改革整備の施策を提言している。

 答申の背景としては、戦後の社会の急速な経済発展に伴う変化が、学校教育に多くの新しい課題を投げ掛けていたことであり、高等学校や大学への進学率の上昇に伴って、教育の多様化が求められはじめ、単一的な学校教育の見直しが求められるようになったことである。 

 このような動きは既に1955年ごろから始まり、中央教育審議会は、63年に「大学教育の改善について」の答申において、産業・経済及び科学技術の発展や、高等教育の対象が選ばれた少数者から能力・適性等において幅のある階層へと変わったことに対応し、高等教育も多様化を進めるとともに、高等教育の計画的整備をはかる必要があることを提言している。

 また66年には、「後期中等教育の拡充整備について」の答申を行い、高等学校進学率の上昇に伴い、生徒の能力や将来の進路に応じた教育が行われるよう教育内容を多様化する必要があることなどを提言していた。これらの先行した答申に基づいて46答申は包括的な教育の改革を求めた。

 戦後、とくに66年度からの大学入学志願者の大幅な増加に伴う高等教育への期待は、大学の大衆化を加速させた。それぞれの大学は定員を増加し、規模を拡大し続けたが、運営は旧態依然としたままであり、学生運動で学生たちが求めていた大学の変革への要請は、あながち的外れなものとして片づけられないものでもあった。

 そのなかで、46答申においては、これまでの高等教育に対する考え方や制度的枠組みが、高等教育の大衆化と学術研究の高度化の要請、高等教育の内容に対する専門化と総合化の要請など高等教育の機能の全体にわたる新たな要請に対応できなくなったことを指摘した。  

 これらの新たな要請に対する新しい解決策として、高等教育の多様化、高等教育の開放、高等教育機関の規模と管理・運営体制の合理化、教員の人事制度、処遇の改善、私立の高等教育機関に対する国の財政援助の充実および高等教育計画の樹立等全般にわたる改革が提案された。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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