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「観光人文学への遡航(67)」 外交における観光②パラオから学ぶ(前編)

2026年1月11日(日) 配信

 2025年は、観光が外交におけるハードパワーのツールとして使われるということを、日本として改めて認識した年であった。

 今まで日本はそのような経験が少なかったから、「観光は平和へのパスポート」と信じて疑わず、外交における観光の議論は、単なる国際イベント誘致やブランディングといった平和と相互理解を前提とした中での小さな枠組みで語っていたに過ぎなかった。

 しかし、世界を見渡してみると、観光のハードパワー化はもう既に各所で起こっているのである。そのなかでも、太平洋に浮かぶ小国パラオで起こったことを振り返ると、ハードパワーとしての観光のこれからのありようが見えてくる。ちなみに、パラオは今も台湾と国交を結んでいる数少ない国のうちの一つである。

 パラオでいったい何が起こったのか、時系列でたどってみることとする。

 パラオはグアム・サイパンの南、フィリピンの東に位置する200の島からなる島嶼国である。全域が熱帯雨林気候で、年平均気温は27度と温暖である。

 美しい島々の景観が広がり、世界遺産にも登録されている。また太平洋戦争での激戦地としても知られ、ペリリュー島、アンガウル島を中心に当時の戦跡が多く残っている。現在ちょうどペリリューの戦いがテーマとなったアニメ映画が上映されている。
 知る人ぞ知るという存在だったそんなパラオが一躍有名になったのが、戦後70年に当たる2015年に当時の天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)がペリリュー島を戦没者慰霊のために御訪問されたことである。

 パラオは国を挙げて歓迎し、ペリリュー州は4月9日が祝日になった。国旗は青地に黄色の丸、パラオ語には日本語由来の言葉が多くあり、今でも親日の国民が多い。

 パラオは主要産業がマグロ漁などの漁業、タロイモ栽培などの農業くらいしかなく、かつてはリン鉱山があったが競争力を失っているため、1994年米国から独立以降は、観光で国の財政を支えていくしかなかった。 

 
 独立直後、当時のナカムラ大統領は真っ先に訪日し、日本航空を訪問して当時の利光松男社長に日本とパラオを結ぶ直航便の路線開設を懇願した。観光立国としての決意に利光社長は共鳴し、チャーターフライトでその期待に応えることとした。

 しかし、当時成田空港は満杯で、開港間もない関西空港も新規に路線を導入するゆとりはなかった。そこで白羽の矢が立ったのが名古屋空港である。ナカムラ大統領は三重県の出身なので中京圏にはゆかりがあり、名古屋空港からのチャーターフライトが開設されることが決定した。それ以来、日本航空が率先してパラオの魅力を日本に紹介し、徐々にマーケットに浸透していくこととなる。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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