【寄稿】「もてなしの距離」 増満圭子(東洋学園大学人間科学部教授)
2026年11月6日(金) 配信

「今回もとても良い時間を過ごすことができました。また、副支配人の方と直接お話しできましたことも、今回の出来事があったからこそのご縁と思い、旅の良い思い出となりました」。
これは、夏のある日に過ごした温泉宿へ、私が送ったメールの一節である。
その宿を知ったのは随分前のことだ。1人でも気兼ねなく利用でき、静かな時間を過ごせるのが気に入り、これまで何度も訪れている。今回もすっかり安心してその宿へ向かった。
けれども、安心しきっているときにこそ、何かが起こる。それもまた旅なのだろう。
部屋の温泉に浸かり、海を眺め、本を読み、少し眠る。目が覚めれば、また湯に入る。誰にも時間を合わせる必要がない。それだけで十分に贅沢だった。
夕食では、若いスタッフが目の前で、こちらの食事の進み具合を丁寧に見守ってくれた。食べ終われば、次の一皿が運ばれる。話し掛ければ、仕事や故郷のことを嬉しそうに話してくれる。それはそれで楽しい時間だった。
ただ、ふと気づいた。見守られているからこそ、迷惑にならないよう、私は食べる速度を気にしていたのだ。
そしていつの間にか、こちらから質問し、話を引き出し、会話を重ねている。
もしかすると、もてなされているはずの私もまた、知らず知らず相手に気を遣っていたのかもしれない。
翌朝、帰路についていたところへ思いがけない連絡が入った。宿との間に小さな行き違いがあったのだ。
やり取りを重ねるうち、副支配人の方と直接話をすることになったのだが、その応対には、むしろ安心を覚えた。それもまた、旅の貴重な思い出だ。
もちろん、私は人との関わりそのものが煩わしいわけではない。必要なときには、きちんと向き合ってもらいたい。ただ、自分の時間を楽しんでいるときまで、絶えず気にかけてもらいたいわけではない。
「上質に放っておかれたい」。そんな思いもまた、客がもてなしに求めるものの一つなのかもしれない。
(増満圭子 東洋学園大学人間科学部教授)

