test

「観光人文学への遡航(56)」 追悼 三尾博氏(3)

2025年2月3日(月) 配信

 私が入社2年目で名古屋支店の国際線営業に異動になり、三尾課長の部下に配属された。課員は6人で、ベテラン社員が並んでいるなか、1年上の先輩と、銀行から転職したばかりの30代の先輩がいた。年の近いこの2人の先輩に業務も教えてもらったり、休日も遊んだりした。

 私が異動してきたのを機に、三尾課長は課のデスク配置を変えた。当時はどこも島式デスクで、課長がいわゆるお誕生日席、あとは課長に近いところに役職者が控えるという感じだったが、私たちの課は課長のすぐそばに1年上の先輩と私が配置された。周りの別の課の社員からも、君たちの課は面白い座席配置をしているねとよく言われていたので、これが異例の配置なのだということがわかった。

 この席次は極めて有効に機能した。課長の同部署・他部署の社員とのやりとりや、電話のやりとりが筒抜けなのである。だから、営業時の話の持って行き方やトークのスキルなどが習わなくても学べるのである。そして、課長がどのような方針で営業をしているか、その目指す想いの部分まで手に取るようにわかる。

 営業マンになる前は、国内線予約センターに所属していたのだが、予約センターはマニュアルが完備していて、素人でも段階を踏んで無理なく確実にスキルが習得できる。この完璧なマニュアルと指導法は、短期の研修で派遣された空港のグランドスタッフ業務でも同じであった。その一方、営業はマニュアルがない。配属2日目から、いきなり営業行ってこいと言われて、引き継ぎもままならないなかで営業マン人生が始まった。だから、取引先に行っても何を話したらいいかさっぱりわからない。なので、年の近い先輩にあれこれ聞きながら、そして、取引先でも、競合する外資系航空会社のセールスマンのセールストークを盗み聞きして、必死でしがみついていた。

 その必死さから、ベテラン営業マンにはない自分の強みを生かした営業手法をなんとか編み出した。当時はまだビジネスでも普及していなかったPCを駆使し、データを取り込んで、表計算して傾向と対策を取引先と話し合うということを実施したら、行き当たりばったりではなく、先手先手で施策を打つことができるようになった。

 後日談だが、課長はほったらかしていたように見せて、実は私の担当する取引先に着任前に訪問し、今度の営業マンは素人だから、教えて育ててやってほしいと頼んでいたそうだ。

 今の教育は、学校教育も社内教育もどこも手取り足取り配慮が行き届いてはいるが、わからないなか、がむしゃらにもがいて必死でしがみつくといったシーンがない。そこまでさせる余裕がなくなったという時代のせいにしそうだが、それを許す上司の器の大きさの問題ではなかろうか。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

いいね・フォローして最新記事をチェック

コメント受付中
この記事への意見や感想をどうぞ!

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE
TOP

旅行新聞ホームページ掲載の記事・写真などのコンテンツ、出版物等の著作物の無断転載を禁じます。