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「観光人文学への遡航(2)」 移動の自由と公共の福祉

2020年8月22日(土) 配信
 

 普段当たり前に感じるものが、有事になって改めてその有難みを感じるということはよくある。ライフラインや食糧の供給は言わずもがなだが、自由に移動することができないということが、こんなにも人の気持ちに影響を与えるということを今回のコロナ禍で改めて実感した。

 
 日本国憲法は、公布時には他国の憲法と比較すると人権に関する記述の割合が極めて大きいことが特徴であると評されていたが、現在では多くの国が人権に関する記述を増やしていて、結果的に世界のトレンドを先取りしたものだった。

 
 大日本帝国憲法においては、臣民は天皇から自由権を「法律ノ範圍内ニ於テ」行使することが認められたとされているのに対し、現行憲法では、国民は生まれながらにして自由権を享有し、それは永久不可侵であるとしている。権力者、為政者の都合で自由に制限は加えられないことが憲法で明確に規定されている。

 
 現行憲法が定めている自由権は、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由といった内面的精神の自由、表現の自由、集会、結社の自由といった外面的精神の自由とともに、居住、移転の自由、外国移住・国籍離脱の自由、職業選択の自由といった経済的自由に分類される。この中の居住、移転の自由の中に、自由に旅行することができる移動の自由も含まれる。

 
 ただ、ここで注意したい点として、内面的精神の自由、外面的精神の自由の条文には、制限が何も書かれずにシンプルにその自由の保障が記述されているのに対して、居住、移転の自由には、「公共の福祉に反しない限り」という制限が記述されている。第十二条および第十三条で、すべての自由および権利は公共の福祉に照らして行使されることが述べられているにも関わらず、居住、移転の自由の項目には、また敢えて書かれていることから、居住、移転の自由は多くの自由権の中でも、とくに公共の福祉の観点が重要であるとのメッセージが込められている。すなわち、自由とは、権力者によって制限はできないものであり、唯一、公共の福祉のみが市民の自由に制限を加えうるものである。

 
 それなのに、今市民の口から自由の制限を公権力に求める論調が出始めている。統制への志向が、よりによって市民から出始めたこと、権力者にとってこれほど都合のいいものはない。

 
 現政権のあまりにもお粗末な迷走は、敢えて混乱させることで、憲法での緊急事態条項の必要性が国民から出てくる状況を作り出して、それが改憲のトリガーになるように目論んでいるのではなかろうか。

 
 私たちにとってかけがえのない「自由」という概念、それを日本人は血を流して獲得したのではないからこそ、ここで改めて自由と公共の福祉の概念を遡って考えてみたい。

 

コラムニスト紹介 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。日本国際観光学会会長。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

 

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