「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(262)」暮らしの日常が観光になる(宮城県栗原市)
2026年11月5日(木)配信
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全国に先駆けて「田園観光」を標榜した宮城県栗原市。長閑な田園地帯に残る景観や歴史・文化、祭・芸能、農村型手工業などに残る暮らしの技など、日々の暮らし文化こそが観光・交流資源になると早くから宣言した。
栗原市では、2026年度に栗原市観光振興ビジョン(~26年度)を策定した。期限を迎える今年、新たな第3次総合計画の改定に合わせて観光ビジョンの策定に取り掛かっており、10月中旬、会合に参加した。
総合計画の理念の一つに「地域の特性を生かした、産業や交流が盛んなまち」づくりを提言。これに沿って「田園観光都市」づくりをさらに発展させ、交流人口の拡大(観光)を目指すことが示された。今回の観光ビジョンは、これらを踏襲し、今後5年間の統一テーマとして改めて「くりはらの日常が旅の目的になる」を提起した。
栗原市は2005年に旧10ケ町村が広域合併し、市域は宮城県全体の11%を占める広大な地域である。合併前は、城下町や鉱山町(鉛の細倉鉱山)、農村型商業集積ありで、それぞれが強い個性を持っている。
栗原市の地形を俯瞰すると、栗駒山から流れ出る3本の河川(一迫川から三迫川)とこれらが集まるラムサール条約の伊豆沼・内沼、市域の真ん中を走る旧奥羽街道などが一体的な地形を形成している。そしてこの地は、旧伊達藩以来の経済を支えた大穀倉地帯、つまり田園地域である。
「日常」を観光資源とみなし、これらをブラッシュアップするという視点は優れているが、その日常は無数に点在する。田園風景の中には「いぐね」(屋敷林・居久根)の集落が広がり、広大な農地には「ほんにょ」(稲掛・刈取った稲束を少しずつずらして棒に掛ける「ねじりほんにょ」が特色)、染織や木綿の地織、能面の木彫など、暮らしの日常は誠に豊かである。
しかし、この地がなぜ旧伊達藩屈指の大穀倉地帯になったのか、秋田県に隣接する地域を中心に500を超える長屋門がなぜ集積したのかなど、地域の謎を解き、ストーリー化できないと地域の際立った特色は見えない。
会の翌日立ち寄った伊豆野堰は、江戸時代初期に新田開発と農業用水確保のための近世末の大土木工事であった。仙台藩2代目藩主・伊達忠宗公のもと、土木技術者・川村孫兵衛元吉らが苦心して造成した堰である。徳川家康が関東入府の際に最初に手掛けたのが利根川の付替えなど大水利計画だったが、伊達藩も河川改修や水利、海を通じた穀物の大動脈づくりを行った。
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また栗原特有で、今でも文字地区や一迫地区を中心に500以上も残る長屋門の一つも視察させていただいた。一説には、秋田藩との結界(門司)の意味もあったという。
こうした地域の「暮らし・日常」をどれだけ「見える化」できるか。地域の壮大な物語を描くことも、今回の観光ビジョンの大きな課題であろう。
(観光未来プランナー 丁野 朗)



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