TEJでスタジオジブリの中島副社長が講演 ジブリパーク「皆の思い出が残る場所に」
2025年10月3日(金) 配信

日本観光振興協会と日本旅行業協会、日本政府観光客が9月26日から愛知県常滑市で開いた「ツーリズムEXPOジャパン2025愛知・中部北陸」では、初日の業界日に基調講演が行われた。登壇したのはスタジオジブリ副社長の中島清文氏。東京・三鷹の森ジブリ美術館のキャッチコピーである「迷子になろうよ、いっしょに。」をテーマに据え、同社の沿革や地域とともに展開してきた事業などに触れた。とくに、愛知県長久手市の「ジブリパーク」については、地域住民と観光客も訪れる都市公園として、「皆の思い出が残る場所にしたかった」と想いを語った。
スタジオジブリは、高畑勲、宮崎駿両監督のアニメーション映画制作を目的に、徳間書店の子会社として1985年6月から活動を開始。1997年6月に徳間書店と合併したのち、2005年4月にスタジオジブリのアニメーション作品と徳間書店スタジオジブリ事業本部のすべての事業を引き継ぎ、新たにスタートした。2023年10月からは、株式譲渡により日本テレビ放送網株式会社の子会社となっている。
中島氏は2004年にジブリ美術館の管理・運営を担う徳間記念アニメーション文化財団の事務局長に就任。05年6月から12年間にわたり、ジブリ美術館の館長を務めた。22年にはジブリパーク取締役開業準備統括に就任し、開業に向けて奔走した。
なぜアニメーション会社が美術館や公園などの施設を手掛けたかについては、その都度「宮崎駿監督の引退宣言」があるとし、主要コンテンツがないなかでの事業継続、新規事業の開発などの観点から歩みを紹介した。
ジブリ美術館は当初、作品のキャラクターグッズを販売するための集客目的で計画されたが、妥協を許さない宮崎駿監督は全国の美術館を視察したうえで、それとは真逆の施設を構想したという。中島氏は「ジブリ美術館は子供のための美術館」とし、かわいいだけのキャラクターを前面に出すのではなく、「ホンモノを見せてモノづくりを伝えたい」と意義を語った。
じっくり見学してもらうためにジブリ美術館は予約制で人数制限を設けている。近年は海外からの観光客にも人気で、需要と供給がアンバランスになっていたところに、ジブリパークの話が持ち上がった。
ジブリパークは2005年の国際博覧会(EXPO)「愛・地球博(愛知万博)」の跡地である愛・地球博記念公園内に位置する。同社は愛・地球博で「となりのトトロ」に登場するサツキとメイの家を手掛け、閉幕後も記念公園に継続して設置された家を見ようと、年間10万人が訪れていたという。
こうしたなか、愛知県から記念公園の活用の相談があり、ジブリのテーマパークを展開することになった。同公園は万博以前より、地域住民が校外学習などで親しんでいた土地だったことから、中島氏は「皆の思い出が残る場所にしよう」と決意。来訪すると、またジブリが見たくなる懐かしさを誘うような施設に仕上げたことなどを語った。
来訪者は「東海エリアで30%。そのほか、国内の観光客は50%、インバウンドは20%」と明かし、遠方からの観光客の割合が多くを占める。「愛知県は『ジブリパークのある愛知』を掲げている」と県が施設を通して魅力を発信していることにも触れ、今後も地域と連携した集客や施設の活用に努めていく考えを示した。






