〈旅行新聞3月1日号コラム〉――お土産 大切な人への「思いやり」の心の表れ
2025年3月1日(土) 配信
日本交通公社が発行した「旅行年報2024」によると、23年の日本人の旅行平均回数は、「国内宿泊旅行」全体では1人当たり2・26回とのこと。この中には、観光・レクリエーションや、帰省・知人訪問、出張・業務も含まれている。これを見ると私は職業上、旅行回数は平均値を大幅に上回っている。
旅行回数が増えると、旅行に対する姿勢が多少なりとも日常に近づいていく。「旅慣れている」といえば熟練度が高まったように聞こえるが、「感動の度合いが平板化している」と表現し直すと、寂しく感じる。
旅先ではあまりお土産を買わない性質だ。「荷物を増やしたくない」というのが、わりと大きな理由であるが「感動の度合いが平板化している」からなのだろうと思う。旅先で土産物店に入って、あちこち見回すのだが、今一つ熱くなれない。
先日北九州に行った息子が、明太子や筑紫もち、小倉銘菓「ぎおん太鼓」など、山のようにお土産を買って帰ってきた。北九州には私の実家があり、明太子やぎおん太鼓は慣れ親しんでいるのだが、お土産として手に取ると、やはり美味しい。「荷物も増えて重たかっただろうに、よくこれだけのお土産を買って来たなぁ」と感心した。
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先週は小田原に日帰り旅行をした。「鈴廣かまぼこの里」でかまぼこを買うのが目的の一つだったので、箱根ビール3本セットや、わさび漬けなども買って、家でお酒と一緒にかまぼこを楽しんだ。
鈴廣で目にしたのが、買い物カゴが山になるほど商品を詰め込む観光客の姿だった。男性よりも女性の方が断然勢いがあった。彼女たちが1年間にどれくらい旅行をしているのか知る由もないのだが、その熱量に圧倒され、清々しい心地よさを感じた。私は他人の豪快な買い物に感動する人間なのだ。
人はそれぞれ価値観が違う。だから他人と自分の欲しいものは一致しない。「そんなものにそれほどお金を使う?」という場面に出会うたびに、無上な面白さを感じる。
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旅先の飲食店でも、あまり思い切った料理メニューを選ぶことができない。
新鮮な魚介類の産地であったとしても、「旅先だから豪勢にいこう!」という勢いが足りない。最近は観光地の飲食店も高い。それも意を介さぬように、隣の席でハレの「特上」御膳などを豪快に楽しんでいる観光客を横目に、「並」か「上」の寿司で満足してしまう。「せっかく旅をしているのだから……」と奮発して「特上」を注文する熱量が不足しているのだ。
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「自分は旅に一体何を求めているのだろう」と思うことがある。安宿に泊まり、美味しいものにもそれほど興味を示さず、土産物店も素通りしてしまう。通りすがりの観光客が山ほどお土産を買い込んでいる姿を見ると、身を乗り出すほど感動してしまう、つまらぬ旅の者。
旅先で自分のために食べる料理メニューなど、この際どうでもいい。しかし、ようやくこの歳になって分かったのは、お土産は大切な人への思いやりの心の表れだということだ。そういえば小学校の修学旅行では、私も純粋な気持ちで家族へのお土産を選んだ。この気持ちは旅への純真さにもつながっている。そうすると、山ほどお土産を買って帰る人が、妙に輝いて見えてくる。心を入れ替えようと思う。
(編集長・増田 剛)