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「観光人文学への遡航(35)」 秘密曼荼羅十住心論⑥空海と最澄とが決別した理由

2023年5月21日(日) 配信

 空海の「秘密曼荼羅十住心論」を第9住心まで見てきた。ここで、ざっとこの境地に至るまでの差異をおさらいしてみる。

 

 まず、第1住心は、動物と同じく欲望の赴くままに生きる様である。宗教以前の段階である。

 

 第2住心は、道徳心が生まれてくるが、一方で人からよく思われたい、人に認めてもらいたいといった子供じみた考えで、儒教はこの段階に位置づけられる。

 

 第3住心は、宗教心に目覚めてくるが、神様・仏様が守ってくれているから安心と思っている。道教やヒンドゥー教がこの段階である。現代的な癒し系とかスピリチュアルなことに興味を持っている人などはこの段階である。

 

 第4住心は、自分の存在を客観視できる状態であり、そうなると今までの幼かった自分を否定する。でも、やっぱり関心事は自分に留まっていて、自己の救済ばかりが目的化している。小乗仏教はこの段階である。

 

 第5住心も小乗仏教の段階で、己の無知を取り除くために修行をして涅槃を目指す行動を起こす。しかし、この段階でも、自己一身のためであり、人の役に立つという発想はない。

 

 これらの自己満足の段階から抜け出して、誰かのために自分を役立てたいという発想が生まれてきたら、それが大乗仏教である。

 

 第6住心は、どんな人にも差別なく愛する心を持つことを目指すようになる。しかし、それには厳しい修行と膨大な時間がかかる。そして、まだその境地に至っていない人々に対して見下し、区別してしまう。

 

 第7住心は、一切は空であり、差別や区別を越える段階である。また第4住心と同様、すべてを否定することになるのだが、ここでは虚無主義に陥りやすい。

 

 第8住心は、否定ではなくすべてを肯定する。あらゆる存在に仏性が宿ると考え、どんな人でもすべてに救われる可能性があるということを知る段階である。これが天台宗の教えである。

 

 そして、第9住心は、あらゆる対立を越える境地に至る。全体が一つになっているという感覚を知る。だから、極楽に行くということは究極ではなく、もし極楽にたどり着いたらまたすぐ現実世界に帰ってくることを求めている。それを往相と還相と言う。涅槃にとどまらず、生死の世界に戻って人々に教えを広める活動をしなければならない。この段階は華厳宗である。

 

 華厳宗は天台宗がまだ足りないものがあると言い、最澄は、次に解説する第10住心の密教と天台宗は同じくすると考えていた。それを空海は、天台宗を華厳宗の下の段階に置いた。こういうことからも、最澄と空海が決別に至った原因なのではなかろうか。

 

 では、その華厳宗でも見えていない密教の真理とはいかなるものか、それをいよいよ来月から解き明かしていく。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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