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「観光人文学への遡航(36)」 秘密曼荼羅十住心論⑦即身成仏とは

2023年6月23日(金) 配信

 凡夫の心から密教の心へ10段階の発展を示した「秘密曼荼羅十住心論」もいよいよ第10住心に至った。第10住心は、「秘密荘厳心」と称され、この第10住心こそ、空海が説いた真言密教の境地である。

 

 第9住心までは顕教、第10住心のみが密教である。密教の密とは、その名の通り秘密の密だが、それは排他的なものではなく、むしろ大いに開かれているような印象を受ける。第9住心に位置する華厳宗では、全世界をあまねく光で照らす毘盧舎那仏の心の内証の世界は解けないとされているが、密教では、その世界さえも解けるとしている。

 

 仏教は、もともと長期間にわたる厳しい修行をすることで成仏するとされてきた。それがその発展段階において、人はみな死ぬと成仏するということが言われてきた。それならば、生きていても成仏できるではないかというのが密教の「即身成仏」の考えである。

 

 即身成仏というと、ミイラのことですかと聞かれることがある。僧や修行者が瞑想を続けて絶命、入定し、そのままミイラになることは即身仏である。即身成仏と即身仏とはまったく異なるものである。

 

 仏も人間と同じ構成要素から成っていると考えられていることから、人間も本来は悟りを開くことができる存在のはずである。そのことから、現世に存在しながら、煩悩にさいなまれた無明の闇に落ちていくことなく、最高の主尊である大日如来と一体となって自らも生きながらにして仏となることが即身成仏の本来の意味である。

 

 ただ、生きている人間は全員すでに成仏しているのではなく、成仏できる可能性を示唆しているのである。人間全員が成仏しているわけではない。しかし、その即身成仏に至る道は秘密にされているのでもなく、菩薩の初地に入った瞬間から覚りが完成した究極の世界に入ることができ、その後は仏として自分のためではなく、他人のために生きる生き方を徹底せよということである。

 

 そうすることによって、智恵の働きを自由自在に発揮して、あまねく社会全体のためになる行動をしていくのである。

 

 宗教者は人から尊敬されるために、または宗教者として一人前になって、それで食べていけるようになるために修行するのではない。あくまでもこの社会全体のために生きるということを決心するかどうかであり、空海は、そう決心したときに、もう仏の境地に至っていると喝破しているのである。

 

 自分の欲を捨て、社会のために生きると決めるということは、まさに大日如来と一体となる境地である。

 

 私がここまでなぜ延々と秘密曼荼羅十住心論を紐解いてきたか、それは、まさにこの「一体となる関係性」というところにホスピタリティ概念の再構築を試みる大いなるヒントがあると考えているからである。

 

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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