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No.281 大丸あすなろ荘 - 心のふるさとに帰る山の宿

2011年6月11日
編集部

大丸あすなろ荘
心のふるさとに帰る山の宿

 今回からスタートする「経営者ロングインタビュー『宿を語る!』」。シリーズ第1回は、福島県岩瀬郡天栄村・二岐温泉の「大丸あすなろ荘」の館主・佐藤好億氏に登場いただいた。佐藤氏は、宿とは密接不可分の存在という「日本秘湯を守る会」の発起人で26年間会長を続けている。6時間ノンストップのインタビュー取材によって、旅や、宿について、東日本大震災後のこと、そして原発事故、さらには地熱開発、日本という国のあり方について語ってもらった。

【聞き手=増田 剛】

 

 経営者にロングインタビュー 『宿を語る!』
シリーズ(1)~大丸あすなろ荘

■ 「秘湯は「人」がすべて ― 日本の原風景を守っていく」

 私は1945年の終戦の年に生まれ、焼け野原から戦後の復興の生活の中で生きてきた人間なので、中学2年生まで栄養失調児だった。

 当時は湯治場として、地域の診療所の役割を果たしていた。そんな社会的な意味合いがあったからこそ、こんな山奥でも生活ができ、森林保全や結果的には山の水の保全にもつながったと思う。

「大丸あすなろ荘」館主の佐藤好億(さとう・よしやす)さん
「大丸あすなろ荘」館主の佐藤好億(さとう・よしやす)さん

 自炊の湯治宿では、農閑期になると、ご夫婦で来られるが夏休みには子供がくっついてくるので華やぐ。秋の初め赤とんぼが舞い始めると、山を下りて稲作の収穫の時期を迎える。やがて遠い高い山に初雪が白くなり始める頃になると、鍋釜と新米を背中に背負って歩いてこられる。宿にとってはその新米を分けてもらえるのが、ものすごく楽しみでもあった。布団と七輪、炭は宿がお貸しする。当時は味噌汁に使う味噌に漬物を付けて持ってきた。それがまた美味しい。夕餉の味噌汁の匂いが一部屋一部屋違う。これは素晴らしかった。天栄村も私が戻る直前の昭和40年前半までそのような風景があった。

※ 詳細は本紙1422号または日経テレコン21でお読みいただけます。

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