「観光人文学への遡航(62)」 強制的な6・3・3・4制の導入
2025年8月3日(日) 配信

GHQは日本の教育体系をアメリカ型に置き換えることを強力に求めた。すなわち、6・3・3・4制の単線型教育制度の導入である。戦前・戦中に我が国で導入されていた複線型教育制度は、小学校卒業時点で将来の方向性がある程度決定づけられる状態となっており、これは教育の機会均等に反するという考えから、すべての子供たちの教育の機会均等を実現するというビジョンのもとで、単線型教育制度の導入が至上命題とされた。
旧制中学校を新制高等学校に改めるにあたって、GHQは小学区制、男女共学、総合制の3原則を打ち出した。さらに、高等教育は、少数者の特権ではなく、多数者の機会とならなくてはならないとされ、カリキュラムの自由化、平等化、一般教育重視、政府による統制からの自由、男女の別や経済力に左右されない機会の開放といったことが求められた。
ただ、文部省はこの単線型教育制度の導入には慎重であった。しかし、現場では大学に格上げを望む学校もあれば、大学に求められる設備などの整備が進まない学校では慎重論も出ており、さらに家政などの女子教育を担っている専門学校に関しては、そもそも大学に格上げすることを学校も生徒も望んでいないところもあるという状況であった。
そのようななか、1947年7月にGHQ・CIEの指令で大学基準協会が設立された。このGHQ・CIEの代弁者たる大学基準協会が大学設置委員会の委員の人選に介入してきた。文部省は抵抗したものの、単線型教育制度の導入の流れは止められないところまできた。
1949年から本格的に新制大学が一斉に発足した。短期間に200校もの新制大学を認可することになった文部省は「苦い思い」を感じることとなった。
その後、52年にGHQによる占領政策が終わりを告げることとなったが、当時の吉田茂首相は、占領政策終了を見越して、51年5月に私的な諮問機関として「政令改正諮問委員会」を設置した。この委員会は占領政策の見直しをすることが目的であり、審議事項の最重点項目に取り上げたのが新しい教育制度の問題であった。ここでは、「我が国の国力と国情に合し、真に教育効果をあげることができるような合理的な教育制度に改善する必要がある」と述べられ、行き過ぎた単線型教育制度に対して、日本型の系統を構想することが示された。
例えば、暫定的な措置として設置された短期大学を恒久化すること、短期大学と高等学校の課程を包含する新しい学校組織としての「専科大学」を認めることが構想された。専科大学は、のちに高等専門学校として62年に設立されることに結実した。基本は単線型にしながらも、日本の国情に合わせて、少しずつ例外も認められるようになっていたのである。

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏
1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

