MENU

test

「観光人文学への遡航(61)」 旧制高等学校の廃止

2025年7月7日(月) 配信

 連合国軍最高司令部(GHQ)による戦後日本の構想のなかで、教育制度の改革は最も大きな地位を占めるものの一つであった。

 GHQおよび民間情報教育局(CIE)の使節団の報告書に加えて、南原繁東京帝国大学総長が委員長となってとりまとめた「米国教育使節団に協力すべき日本側教育委員会の報告書(略称:日本教育家の委員会報告書)」によって、戦後日本の学校教育制度が、欧州型の複線型学校教育体系から、米国型の単線型教育体系、すなわち、6・3・3・4体制へと大幅に改変されることが決定された。

 ここで、戦前、戦中に存在した大学・専門学校・高等学校・師範学校の別はすべて廃止され、新制大学に再編統合されることとなった。

 そこには、専門学校出身者が大学出身者よりも恵まれない地位に置かれやすいことから、向上心、研究心などが鈍りやすい声があり、専門学校は内容を充実して大学となすことが望ましいと説明された。

 一方、廃止されることとなった高等学校に関しては、「高等学校の特色の一つが人物養成に在りとすれば、現在30余校の高等学校生徒のみが大学に進学する結果、彼らのみが将来国家社会の指導者となる特権を受けることとなり、望ましくない」と報告書には述べられている。

 実際、旧制高等学校は、東京帝国大学などへの進学を前提とする「超エリート校」として位置づけられており、入学者は限られた少数の男子学生のみであった。この環境が、選民思想や、学歴ヒエラルキーにつながり、戦後の民主主義や平等の理念とは最も相容れないものとされた。

 さらに、旧制高校では主に哲学、文学、ドイツ語、漢文などの「教養主義」に基づく教育が重視され、直接的な職業能力や実務的知識はほとんど教えられていなかった。

 それだけではなく、教養教育を施す理由として「人格陶冶」を掲げているものの、社会的実践からは乖離し、実社会との接点の希薄さが指摘されていた。その例として、制服、応援団、寮生活に伴う上下関係や強い規律、無頼的なバンカラ精神の礼賛、学業よりも寮歌、山岳登山、詩作などを重視する風潮があり、この独特な旧制高校文化は、「自由」と「自治」の名のもとに、放縦や排他性を助長し、近代的な学問追求や市民教育とはかけ離れていると批判された。

 さらに、旧制高校は、男子のみ入学可能であることと、都市部や特定階層の子弟に偏った入学者層であることから、教育の機会均等を妨げているとも指摘され、男女平等と、国土の均等な経済発展という戦後改革の流れに逆行するものとして、廃止の要因となった。

 旧制高校は、新制大学の一般教養課程(教養部)としてその組織を部分的に引き継ぐ形となった。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

いいね・フォローして最新記事をチェック

コメント受付中
この記事への意見や感想をどうぞ!

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

旅行新聞ホームページ掲載の記事・写真などのコンテンツ、出版物等の著作物の無断転載を禁じます。