「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(242)」 日本遺産による新たな都市連携(群馬県桐生市)
2025年3月8日(土) 配信
.jpg)
群馬県桐生市の郊外に、2柱の織物の神が祭られる白瀧神社という小さな御社がある。京都から織物の製法を伝えたという「白瀧姫」を祀る神社である。京都に出仕したこの地の男が、官女白瀧姫を見初め、身分違いの恋だが、見事な和歌を披露して白瀧姫を故郷へと連れて帰ったとか。そして白瀧姫はこの地に養蚕と機織を伝えたという伝説である。8世紀半ばの物語である。
桐生の織物の隆盛を象徴するさらに2つの話がある。一つは1333(元弘3)年、新田義貞が鎌倉倒幕のため挙兵した際、桐生で織った絹を使って幟にしたという話、もう一つは1600(慶長5)年関ヶ原の戦いで、徳川家康の要請により、わずか1日で旗絹2410疋を織出し、東軍勝利に貢献したという話である。徳川家の祖、新田義貞旗揚げ由来で、縁起のよい桐生製の歴史を紐解く物語である。
その桐生では、江戸時代後期には手工業生産を分業化し、いわゆるマニュファクチャー制度を確立した。そして、明治になると、ジャガード機など、当時の最先端技術をいち早く導入して近代的な生産体制を確立した。1887(明治20)年の日本織物株式会社の設立を機に、「西の西陣・東の桐生」と呼ばれるような日本を代表する産地としての地位を築いていった。
こうした桐生の織物の歴史は、「かかあ天下~ぐんまの絹物語」として2015年に日本遺産に認定(桐生市のほか甘楽町・中之条町・片品村)されている。桐生など絹織物が盛んだった上州では、女性が養蚕・製糸・織物で家計を支え、近代以降は製糸工女や織手として活躍した。まさに「おれのかかあは天下一」である。

その桐生で2月初旬、織物に由来し、かつ日本遺産に認定されている5都市の市長ほかトップリーダーが集うシンポジウムが開かれた。足利市(銘仙/近世日本の教育遺産)、館林市(紬・モスリン/里沼)、八王子市(多摩織/霊気満山高尾山)、十日町市(越後縮・絣・明石織/究極の雪国)である。
日本遺産の認定地域では、近年、地域内はもとより、同じテーマをもつ他地域との連携が盛んである。桐生(糸)・八王子(織)・徳島(藍)・山形(紅花)の4つの産地が連携した新たな絹製品の共同開発などの事業も生まれている。
この日の討議も、日本遺産と織物という経糸と緯糸を組み立てた新たな事業連携、これら資源を生かしたまちづくりの手法などについて熱心な討議が行われた。荒木恵司桐生市長からは、これら都市連携を生かした事業創造のための新たな推進体制の構築など「桐生アピール」もご提案いただいた。
各地域は、その後それぞれの発展経緯を辿っているが、織物都市としての遺伝子は今も息づいている。多様なテーマによる都市連携が、新たな産業創出や都市再生の起爆剤になってほしい。
(観光未来プランナー 丁野 朗)