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【特集No.627】資格「旅のUDアドバイザー」 スペシャルサポーターが発信へ

2023年2月1日
編集部:増田 剛

2023年2月1日(水) 配信

 資格「旅のユニバーサルデザインアドバイザー」を認定するケアフィット推進機構(冨樫正義代表理事)は昨年、開講2周年を機に同資格の社会的認知度向上を目指す目的で、発信力の高い車椅子トラベラーの三代達也氏と、手話落語の第一人者、古今亭菊千代氏を「スペシャルサポーター」に任命した。「誰もが旅をしやすい社会」へ何が必要なのか――。冨樫氏と三代氏、菊千代氏がそれぞれの立場から現状の課題や、教育の大切さなどを語り合った。

【増田 剛】

 冨樫:ケアフィット推進機構は年齢や性別、障害の有無に関係なく、誰もが社会生活の中で満足した生活や、役割を担える社会を作っていくために、まずは気づきを感じ取れる“学びの場”を作っています。
 その学びの場の1つに、2020年に創った資格「旅のユニバーサルデザインアドバイザー」があります。「旅は社会の縮図であり、旅から社会を変えていこう」という想いが込められています。
 まずはこの資格を取得してもらい、基礎知識を得たうえで、さまざまな気づきや課題解決につなげていってほしいという願いがあります。
 そして、22年9月に「旅のユニバーサルデザインアドバイザー」開講2周年を記念してスペシャルサポーターとして、三代達也さんと古今亭菊千代師匠を任命させていただきましました。
 三代さんはまさにユニバーサルツーリズムの実践者として、テキストにコラムを書いていただいたことがきっかけの1つではありますが、実際に、三代さんのコラムを読んで車いすユーザーの方が受講されています。そのほかにも車いすユーザーのところに訪問美容をされている方も三代さんの講演を聴いて、そこから資格取得に向けて受講される方もいました。
 菊千代師匠は、男社会の落語界において400年の歴史上、江戸では初となる女性真打(1993年)であり、手話落語の第一人者でもあります。障害者や高齢者だけでなく、多様性という社会の進むべき方向性を見据えたときに聴覚障害者をはじめ、多様な場面で共に発信していただけることを期待し、お願いしました。

 三代:私は18歳まで健常者として普通に歩いて生活をしていましたが、バイク事故による頸椎損傷で、首から下の部分の運動機能がほぼ麻痺してしまいました。
 感覚も大部分を失っていて、胸やお腹などを直接触っても、何枚か重ね着した服の上から触れられたような感覚です。熱い、冷たい、痛い、痒いといった感覚もかなり鈍い状態です。
 排泄では尿のカテーテルを装着したり、大便も座薬や浣腸を使ったりして、自分なりにコントロールしています。

 冨樫:たった1人で車いす世界一周旅行をされたきっかけは。

 三代:茨城から東京に上京してサラリーマン生活3年目を迎えた23歳の夏、ハワイに旅行しました。初めての海外旅行でしたが、ハワイはハード面だけでなく、心の部分も驚くほどバリアフリーでした。「車いすで行けないところがなかった」というのが第一の印象で、もっと言えば、「自分が障害者だということを忘れるくらい」の感覚でした。どこに行っても車いす用のトイレが備えられ、気軽に話し掛けてくれました。 
 その後、2017年から18年までの9カ月間に23カ国を訪れ、「車いすで単独世界一周の旅」を実行しました。車いすの目線で、あえて1人で旅をすることによって、リアルな旅行記を赤裸々に発信することができました。書籍「一度死んだ僕の、車いす世界一周」などを目にした方々に「私も旅行できる」と世界が広がり、新たな行動の第一歩につながればいいなと思い、現在は「車椅子トラベラー」として活動を続けています。
 帰国後は2年ほど東京で生活していましたが、コロナ禍で海外には当分行けない状況となったために、国内で一番好きな沖縄に移住し、バリアフリーなどさまざまな情報を、SNSなどを通じて発信しています。

 冨樫:若い世代への教育にも熱心ですね。

 三代:小学校から大学、リハビリ系の専門学校の非常勤講師も務めています。学生にはマニュアル通りのリハビリではなく、リハビリの先にあるものの大切さを伝えています。つまり「歩行の練習を続けるとディズニーランドに行ける」といった、未来を見せるような視点が身に付いていれば、将来受け持つ患者さんを元気づけることになるのではないかと、当事者の自分が率先して話をしています。

 菊千代:私は「落語家になりたい」という夢をずっと持っていましたが、落語界は男社会の最たるものでした。私の師匠二代目古今亭圓菊が弟子として受け入れてくれて、何とか落語の世界に入ることができました。

 冨樫:まさに落語界におけるジェンダーレスの取り組みの草分け的な存在ですね。

 菊千代:当初は時代背景的にもさまざまな壁もありましたが、今では女性の落語家も増え、全国に55人もいます。
 私が弟子入りした師匠圓菊は、受刑者の慰問や、視覚・聴覚障害者の受入施設、老人ホームなどで落語を披露する活動をとても大事にしており、手話落語を始めた人でもありました。
 真打になる前でしたが、師匠から「お前も手話を勉強しなさい」と言われ、当時はピンとこなかったのですが習い始めました。
 落語は話術によって面白く笑わせるのが仕事ですが、聴覚障害者を前にして、まずは「どうやって表現すれば噺を理解してもらえるだろうか」というところからのスタートでした。さまざまな試行錯誤を繰り返すうちに、障害のある方々に対する私自身の思いも深くなっていきました。35年ほど手話落語を続けていますが、今でも手話落語ができる人は数人しかいません。……

【全文は、本紙1893号または2月7日(火)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】

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