2022年11月10日(木) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その人気の秘訣を探っていく対談シリーズ「いい旅館にしよう! Ⅲ」の13回目は、福井県・あわら温泉「ホテル八木」社長の八木一夫氏が登場。10年に及ぶ改革を継続し、「日本一のビュッフェ」を目指すホテル八木。“ビュッフェの概念を覆す”新たな試みを、内藤氏とともに探った。
【増田 剛】
◇
――ホテル八木の歴史から教えてください。
八木:元々は一般的な農家でした。この地域の水田灌漑用の井戸を掘っていたときに温泉が出たため、1883(明治16)年10月に創業しました。あわら温泉で最も古い宿の1つで、当時から温泉地の中心街で営業を続けています。私は5代目になります。
内藤:宿はどのようなかたちでスタートしたのですか。
八木:農作業の疲れを癒す湯治の小さな湯屋です。景勝地でもなく、平地に湧いた温泉街のため、各宿が競うように庭を造り、温泉地として発展していった歴史があります。
京都の花街を模した芸妓文化も育っていきました。近隣の勝山市では機織業が盛況で、ガチャンと織れば万の金が儲かると言われた「ガチャマン」景気と重なり、旦那衆が芸妓を囲ってあわら温泉で遊ぶという華やかな時代もありました。
昭和の高度経済成長期には大型バスで観光客が訪れ、あわら温泉では一部で郊外に大型旅館を建てる流れになりました。
内藤:中心街に残って外に出なかった理由は何かあったのですか。
八木:先代(父)や先々代は、「第2の我が家」のような宿を軸にしていたので、団体旅行の全盛時代にあっても、個人客に目が向いていたのだと思います。
内藤:今にしてみれば時代の先を行っていたとも言えます。どの時期から経営的に厳しくなり始めたのですか。
八木:私が大学卒業後に宿に入ったのが2003年です。当時は宿の経営が良好だったので、「企業に就職するよりも断然いい」と思っていました。福井県内には大きな温泉地はあわら温泉しかないため、忘・新年会、送歓迎会、総会など年間を通じて宴会需要はありました。
しかしながら徐々に単価が下降し、需要も減少傾向が続いていました。何とかしなければならないと思いあぐねていた10年ほど前の2012年に、格安温泉旅館チェーンが進出し、10億円ほどあった売上高が毎年1億円ずつ減少していきました。
ビュッフェではなく部屋食中心で、1人当たりの宿泊単価も2―3万前後だったため、「客層もまったく異なる」と捉えていましたが、どんどんお客様が減っていきました。
「何かがおかしい」と思いながら理由が分からない状況が続きました。進出してきた旅館チェーンは「安売りモデル」と言われていたため、「低価格」の部分ばかりに目が行っていました。
さまざまな分析をしてみた結果、当時はまだ温泉は記念日など特別な「ハレ」ニーズでしたが、同チェーンは「温泉を身近にしよう」というコンセプトで、「気軽に温泉旅館に泊まってリラックスしてください」という売りでした。つまり当館が軸にしていた「第2の我が家」と重なり合っていたと、のちに理解しました。
内藤:そこから改革が始まったのですね。
八木:とにかく生き残ることを考えたときに、企業の存続条件は「利益を残す」のみでした。どうやって利益を作り、残すかをひたすら考え、損益計算書(PL)のあるべき数字のモデルを作りました。
「利益を10%残す」と決め、そこから色々なところを細かく見ていくなかで気づいたことは、「自らがコントロールできる部分は少ない」ということでした。
例えば、電気代や水道代、ビール1本いくらで仕入れているかなどを細かく見ていきましたが、少し削ったところで大きなムダの部分を放置していたら意味がない。そうすると大きく改善できる部分は食材原価と人件費、つまりFLコストしかありませんでした。この2つをコントロールできれば、利益が残るとの結論に至りました。
ちょうどそのころ、14年に参加したある現地セミナーにおいて、「ほとんどの旅館は人が余っている」という内藤先生の言葉が胸に刺さりました。常に「人が足りない」という話を館内でしていたので、「人が余っている」という意味が分かりませんでした。今にしてみれば、当時は人が仕事を作っていて、それで余計な仕事をどんどん増やしていたのかもしれません。
――当時はビュッフェではなかったのですか。
八木:宴会場を食事処としており、そのほかに個室食事処と部屋食もまだ提供していました。事前準備にもお金を生まないムダな労力を多く掛けていました。この事前準備をなくしていくことが最初の改革でした。
午後3時ごろ厨房を見に行くと、長い盛り付け台に山ほど器を並べて、料理ごとに盛り込んでいました。それをチャンバーに移して次の料理を盛り付けするというようなことを繰り返しやっていました。弁当屋と同じようなことをやっていながら、お客様から2―3万円をいただいている状態でした。
また、調理スタッフの仕事内容を細かく調査すると、既製品を盛り付ける時間が圧倒的に多かったのです。なかでも一番時給単価の高い料理長が「最も盛り付けの時間が長い」という衝撃的な結果になりました。
――改革の途中で難しさはありましたか。
八木:改革が進んでいくと長く働いていたスタッフもどんどん辞めていきました。新たに採用して補充するのではなく、給与や利益を残ったスタッフで山分けするように説明して徐々に生産性を上げていきました。
内藤:夕食ビュッフェを始めたのはいつですか。
八木:9年ほど前です。当時は既に朝食はビュッフェでしたが、最後のお客様が会場に入ったときに、ようやく地下のメイン厨房からハンバーグが大皿に盛り付けて出来上がってくるなど、問題だらけでした。
そこで改革では、まず書籍「サービス産業 労働生産性の革新 理論と実務」(旅行新聞新社刊)にあります業務の一つひとつの時間・情報・位置をお客様に近づけていく、いわゆる「リアルタイムサービス法」を追求していくことにしました。多品種小ロットも心掛けました。
夕食は、まだ会席のコース料理を食事会場で提供していましたが、改革の初期は、料理をまとめて事前に配膳しておくのではなく、料理をできるだけ一品ずつ提供するようにしました。そのために料理の出し間違いや、出し忘れないようにするために、まずお客様が前菜を食べ終わると、コース料理の伝票が回っていき、その伝票に書かれた順番で料理を間違いなく提供するように工夫しました。このようにまず料理をお客様に提供する配膳方法から改革を始め、これによって事前の準備作業が減って作業の効率化が進んだだけでなく、会席料理の「1品出し」という高級ラインにも応用できるようになりました。
そこから改革をさらに進め、次に盛り付け方法も工夫するようにしました。鍋料理は伝票が来たときに具を盛り付けて出汁を張ってお客様に提供しました。改革を始める前は箸や箸置き、鍋を置く台、レンゲなど朝のうちに事前準備が必要でしたが、この方法に変えることで、これら鍋に付属する小物食器も料理と一緒に持っていくように変え、事前準備作業を減らすことができました。
お造りの提供方法も変えました。柵まで本厨房で準備しておいて、切って盛り付ける部分を食事会場のお客様の目の前でやってお客様のテーブルに配膳するということを始めました。そうしますとお客様が出来上がった皿を取りにきて自らどんどん持っていくので、お造りを食べ放題にしてしまいました。天ぷらもお客様の目の前で揚げていると、お客様が揚げ立てを持って行ってしまうので、食べ放題にしました。鍋も肉や野菜、出汁も選べるようにしました。「美味しい」と、お客様がおかわりを取りに行くようになりました。
このようにして、ほぼすべてが食べ放題のような感じになってしまいましたので、ある時点で夕朝食ともに「ビュッフェでいいではないか」ということになり、ビュッフェにしました。「注文が入ってから作る」ということをこのころから徹底するようにしました。
内藤:盛り付け工程や一部の調理工程だけをまず地下のメイン厨房から2階にあった食事会場に持って行ったのですね。お客様の評価はどうでしたか。
八木:最悪の時期はOTA(オンライン旅行会社)の料理の評価は3点を割っていましたが、今のほぼ5点満点を得るまでに改善しました。厨房スタッフも改革の途中で8人から3人まで減ったので、調理補助のスタッフと一緒になって提供していました。
厨房スタッフが大人数いたときは、不思議と味噌汁1つを出来立てで提供するのでさえ、「できない」と言っていました。
味噌汁、天ぷら、出汁巻、フレンチトーストも会場でお客様の目の前で作り始めると、次第に調理部がやる仕事がなくなっていきました。当時は調理補助のパートスタッフにレシピを作って教えることが調理長の一番大きな仕事になりました。
内藤:当時2―3万円の宿泊単価を8千円まで下げましたね。
八木:値付けの売れる鉄則「定価の半額、売れ筋の8掛け」を実践しました。約200組に無料で宿泊していただき、弟の常務と2人でヒアリングを行った結果、8千円という価格が定まりました。2015年の金沢新幹線開業の年で、周囲が一斉に値上げをしたなかでの値下げでした。周りも「理解不能。ホテル八木は終わった」という評価だったと思います。
実際8千円で販売すると売れました。利益は多少残ると思っていましたが、まったく残りませんでした。
内藤:単価を極限まで安くしたことで、ムダをなくすことを強く意識するようになったことは良かったのではないでしょうか。
八木:改革前は30%を超えていた異常に高い食材原価率もこのような配膳や盛り付け、調理の改革によって大幅に下がりました。宿泊単価を8千円にしたときは、袋詰めで納品される既製品の料理をほぼ使わないで調理補助のスタッフを中心に調理する状態でしたが、宿泊単価が極端に低かったため、まだ食材原価率が20%ほどはありました。今は評価が大きく上がったにも関わらず飲料を含めて15%程度で、飲料を除くと12%前後です。
内藤:さきほど大きく改善できるのはFLコストのみとの話もありましたが、FLを改善していくと、ムダな在庫を抱えなくなるため、冷蔵・冷凍庫を使わなくなり、また食材を解凍するための水を使わなくなるなど、水道光熱費も連動して削減していきます。
一般的には宿泊業の変動費部分は、仕入れしかないため、何とかしようと既製品を使い始めて味が低下し、単価も下がり、むしろ原価率が上がってしまう結果になったりもします。
八木:当時は問屋に電話して袋詰めされた出来合いの料理を仕入れてそれをただ温めて提供していましたが、今は原価率15%を日割りした額の財布を渡し、調理スタッフは毎日市場に行ってその金額内で買い物をしてきます。ですから食材を買うのも市場で交渉するしかありません。撥ね物を安く仕入れたり、日によって安い食材を選んだり工夫しています。当館はメニューがないので、1つの食材から幾つのメニューを持てるかが勝負になってきます。もはや既製品をそのまま出すことはありません。
内藤:ホテル八木は「食事の時間を宿泊客に聞かない」ことをいち早く始められました。
八木:2部制にするとどうしても最初と入れ替え時に2つの山ができてしまいます。時間を聞かなければ途中のピークに合わせて人を投入し、ピークアウトするときにシフトの人数を減らしていくことが可能になりました。
内藤:最初は怖かったですか。
八木:業務量のピークが固定費を上げるという、製造業が築き上げた理論として完成されていたので怖さはなかったですね。行列で待たされてお客様に怒られたこともありましたが、作り置きの美味しくない料理を提供しても怒られる。それなら、多少待っていただいても「出来立てで美味しい料理を提供する」方が断然いいと判断しました。
当初はビュッフェ会場の前には長い行列ができてそれにスタッフが気づかないでお客様を待たせていましたが、逆に会場は空っぽということも頻発していました。それで受付を中に入れただけでこの待ち行列問題を改善できました。取り皿を会場の入口からビュッフェ会場の中央に持っていき、ビュッフェ台前の行列も解消でき、それによってお客様の回転を上げることができるようになりました。ちょっとした工夫で行列の問題は解消していきました。
これらの経験があったので、18年に食事処を2階から1階に移し、横にある小さな厨房を利用するようにしたことで、それまでの地下のメイン厨房から2階の食事処まで料理を運搬することがなくなりました。このリニューアルした際にもそれまでに蓄積した生産性の高いノウハウを取り入れることができました。
内藤:料理を美味しくすることが食品ロスを減らし原価を下げ、さらにお客様の満足も上げ、スタッフのムダがどんどん減ってさまざまな問題を同時に解決します。
――客室はどのくらい稼働させていますか。
八木:現在、全74室のうち20室50―60人を上限に絞って稼働しています。1棟は休館しており、今後も使用しません。
コロナ禍で1泊2食4万円まで単価を上げることを実験的にやりましたが、お客様は動かなくなりました。宿には立地や規模などさまざまな制約があり、適正な料金というものが存在することを実感しました。
内藤:適正料金はどのくらいの価格帯ですか。
八木:2万5千円です。この価格帯でしっかりと利益が生み出せるようになりました。8月は償却前利益が30%になり、改革前の厳しい経営状況から大きく抜け出すところまできました。
内藤:どこの施設でも頭を抱えるビュッフェにおける「欠品」の問題はどうお考えですか。
八木:欠品は絶対に起こります。しかし、お客様は料理に掛かっている手間を分かっており、最終的にほかの料理でも満足されて「美味しかった」と言っていただくことがほとんどです。事前に食事会場において「当館はすべて手作りで、一つひとつ丁寧に作りますので、時間が掛かってしまい、欠品することもありますが、シェフのこだわりの料理をご堪能ください」と説明します。
少しずつしか作らないので最後の方は唐揚げを1つしか調理しないこともあります。メニューも固定せず寿司のネタもその都度変わります。また、お盆をなくしたことで、お客様のテーブルに残食がほとんどなくなっただけでなく、小まめな料理の補充により、欠品があったとしてもビュッフェ台の残食もほとんどなくなりました。
旬の食材を多く使うほど料理は美味しくなって、原価は下がり、お客様も喜んでいただけます。今年サクランボが安かったのでたくさん提供しましたら、普段は高いイメージがあるためか、お客様からとても高い評価をいただきました。
内藤:市場に行って旬の食材を買ってきて、現場で調理して提供するというのが本来の基本だと思います。
旅館では「団体客」と「個人客」と区分けをされますが、「宴会」と「レストラン」の区分けの方が明確だと思います。宴会の料理の出し方を2人客にも応用しようとしてもオペレーションが上手くいかない。レストランのように個人客はまったく別なのだと考えるべきです。
――今、宴会場はどうされているのですか。
八木:まったく使っていません。20人のグループも断っています。
内藤:ホテル八木の特徴は料理長がイタリアン出身で、パティシエもいることです。和食の調理人はサラダやパン、デザートの概念がないのですが、まったく異なるアプローチをしています。
八木:洋食出身の料理人は和の勉強をとても熱心にやられています。
内藤:旅館での食事メニューやニーズが過渡期に来ているので、どのような方向に進むのかということも考えなければなりません。
八木:今のホテル八木では、30―40代で小さな子連れのお客様が一番相性のいい状態です。小さなお子さんがいる家族は想像以上に旅館の選択肢が少ない。美味しい料理を食べに行こうとすると「12歳以下は不可」など、子供が騒ぐかもしれないので高級感を売りにした宿を遠慮してしまう。個室食事処よりも皆がガヤガヤしていると、うちの子供が少し騒いでも大丈夫だという安心感にもつながります。そういう年代層のお客様にリピートしていただいています。
内藤:昨年末から料金をオールインクルーシブにしましたね。
八木:当館では一部の高額飲料を除いて宿泊費の中にドリンクが含まれているので「追加の料金はないので安心してください」との想いです。館内に売店もありません。
内藤:お酒が好きな客も実際にジョッキ2杯ほどしか飲まないものです。料理を美味しくするなど全体のクオリティを高めていけば、料金的な不満はなくなります。
料理の評価が5点満点にもなると、セレブのような客層に変わりそうですが、小さな子供がいる家族連れが多いというのが面白いですね。
八木:「作り込んだサービスが客層を決定する」という内藤先生が唱える「集客器理論」です。ビュッフェなので接待客も来ません。10年間の改革で色々な発見がありました。
売上を作る方法は用途開発と販路開発です。用途は、記念日プランや、接待客向けプランなどを作ることですが、当館は小さな子供がいる30―40代の家族を含めた個人客という一本に絞って集客しています。
改革していくなかで、目の前にいる「現客」優先を徹底するようになりました。社会環境も変化していきますので、良くし続けなければ悪くなるので、昨日よりも良くするように毎日全員で努めています。
「日本一のビュッフェ」を目指したいと思います。世間一般では「食べ放題」というイメージが強いですが、ビュッフェの概念を覆し、コース料理にも負けない新しいカタチを作りたいと思っています。お客様と向き合い続けて、いかに喜ばれるかを考え続けています。
――ありがとうございました。
【全文は、本紙1886号または11月15日(火)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】