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「トラベルスクエア」国民の祝日なくしたら

2019年2月23日(土) 配信

個人の責任で休みを自由にとれる社会が理想だが……

 
先月のコラムで、5月に予定されている10連休が、マーケティング的には喜ばしいけど、従業員管理体制的には問題が多い、と書いたところ、いくつか反響があった。
 
  旅館の現実を知る人たちには共感をもって読まれたように思うけれど、問題の本質の一部は、お休みを「官」が国民の祝日としてご下賜されないと、我われも安心して休めない体質になっていることにもありそう。
 
 ドイツやフランスのロングバケーションなど、国が休め! と号令をかける前にどんどん勝手に休暇申請していき、経営トップも、同僚も誰も咎めない。こういう労働環境を作らないと、リゾート需要の週末、休日集中化は収まりそうもない。
 
 以下は天下の暴論と思うが、一度、国民の祝日をなくしてしまえば、各自が公の決め事に縛られず、好きなときに休みをとる体制ができるのじゃないか、と夢想したり。
 
 個人的なことだが、僕の実姉の旦那がドイツ人で、現役のころから4―5週間の休暇を自由にとっていた。製薬会社の営業が仕事だから、当然、馴染みのクライアントがいる。そこで質問をしてみた。「貴公は営業だから馴染みのお客がいるであろう。長い休みをとる間、そのクライアントに迷惑がかからないか。またその間に他の社員に得意先を横取りされたりすることはないのか」と。
 
 なんでそんな質問が出るのか不思議そうに首をひねっていたが、「みんな長期休暇をとる。それがコンセンサス。同僚に引継ぎをしっかりしていれば、なんの問題もないじゃないか。仮に、それでお客をとられたとしても、その同僚も休みをとるんだ。その間に取り返せばいいだけの話」というわけだ。あなたじゃなければいや、というクライアントがいたらどうする? 「そんな人をクライアントにするのが間違っている、そんなのはストーカーみたいで、僕はご免被る」とも言う。
 
 休みを自由にとるというのは自己責任で、それによって発生する顧客の奪い合いなどという低レベルの成績評価なんてない、ということだ。
 
 本当に、レジャー需要の平準化のカギを握るのは、お国から賜った休日増ではなく、企業ごとの自覚というか、人間なんだから休みをとって当たり前と分かり合える職場を作れるかどうか、ではないか。働き方改革という制度上の問題ではなく、企業組織の社風というか文化のレベルの問題と、まずは経団連レベルの経営者が自覚しないとねえ。
 
 ある人から聞いたが、ウイークデイ労働者が7割。休日主力労働者が3割とか。7割の人のレジャー需要を3割の人が支えるんじゃ、そりゃ、無理も出る。レジャー需要の出し方の根本的な意識改革こそ、働き方改革の一丁目一番地にしたい。

(跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授 松坂 健)

 

コラムニスト紹介

松坂健氏

跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授 松坂 健 氏
1949年東京・浅草生まれ。1971年、74年にそれぞれ慶應義塾大学の法学部・文学部を卒業。柴田書店入社、月刊食堂副編集長を経て、84年から93年まで月刊ホテル旅館編集長。01年~03年長崎国際大学、03年~15年西武文理大学教授。16年から跡見学園女子大学教授、現職。著書に『ホスピタリティ進化論』など。ミステリ評論も継続中。

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