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「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(85)」(山梨県・身延町)大市館裕貴屋≪歴史の湯治場に残る明治初期のロマン建築≫

2018年5月5日(土)配信 

客室の外に手すりを付けた湯屋風の建築。白壁の花頭窓が変化をつける

 開湯1200年余といわれ、「信玄の隠し湯」の名もある下部温泉で、1875(明治8)年に創業した。湯治宿が多いなかで、やや高級な宿として営業していたようである。それは政治家の後藤新平が湯治に来たことでも想像がつく。富士急行の創業者で衆議院議員の堀内良平に紹介されたものだった。後藤新平の書いた「洗心山房」という書は、今も館内に掲げられている。

 旅館は2回の代替わりを経て、現在は事業家の名取尚久氏が経営をしている。名取さんはこの宿の常連客だったが、古いものを好み、温泉だけでなく建物にも惚れこんで入手したのだ。蔵に眠っていた古文書や古写真、古いレコードなどが館内に多く展示されているのは、その現れに他ならない。従業員は作務衣姿だが、「私もはかま姿になって帳場でそろばんをはじくことがあります」。支配人の山本真樹さんは言う。

 建物は木造3階建て。下部川に臨む堂々とした建物である。建築は1936(昭和11)年だが、近年に館内を大きく改装した。一部の客室に水洗トイレを設置し、2室を1室にしてベッドのある和洋室を設けるなど、時代に合わせた改装だった。客室は2階と3階に6室ずつあり、全12室。全館が有形文化財に登録されている。

 すべての客室のなかで、もっとも従来の造りが残されているのは3階のあおいの間だ。三階菱のデザインが施された入り口の扉を開けると、石畳の玄関風となり、天井は四方竹の吹寄せ。9畳の次の間を経て10畳の本間は一間幅の板床に太い竹の床柱が立つ。違い棚も一間の幅で、組子の書院障子と天井を網代に組んだ付書院がある。しゃれた造りをいくつも施した数寄屋造りだ。

 隣室のききょうの間も石畳の玄関を設け、12畳の本間には幅一間の床の間がある。床柱に面皮柱や節の残る出節柱を使って飾り、床脇の天袋は金箔押しの引き戸といわれる。天井の棹は本間が彫りの深い猿頬面で、次の間は桜の皮付き細丸太。広縁には四方竹を用いて変化をつけている。こだわりの多い施主だったのだろう。

 畳敷きにベッドを置いたかたくりの間にも床の間を残し、和洋室のあかねの間も舟底天井のまま。ひとりしずかの間には舟底天井のほかヨシを貼った天井などがある。改装後も館内には各所に古さが残るのだ。廊下は石畳や縁の無い台湾畳を敷くなどして和風を演出。壁に開けられた楕円形の下地窓が古風なイメージを引き立てる。

 現在の宿泊客は湯治よりも観光客が中心である。60歳以上が70%を占めるが、40歳以下の若年層も多い。みな宿の名物である低温の洞窟風呂に長湯して、地場の川魚に舌鼓を打つ。そして「建物の古風な造りが興味深い」「古い陳列物が面白い」との感想。館主の思いが届いているようだ。

 

コラムニスト紹介

旅のルポライター 土井 正和氏

旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。

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