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「街のデッサン(222)」ドラキュラ現象を使いこなす ルーマニアの物語観光が底知れない

2019年10月6日(日) 配信

世界最強の吸血鬼・ドラキュラ

 ブルガリアの小さな国境の町ルセからドナウ川を渡ると、そこはルーマニア。橋を越えて国境で乗り換えたバスは、ブラショフヘ向かった。この街はルーマニアの「森のかなたの国」を意味する、トランシルヴァニア地方の中心にある。

 ルーマニアの観光資源といえば東方正教会の流れを汲む教会群、例えばスチャヴァの周辺の「5つの修道院」などが有名であるが、いまだに残っている美しい農村・田園風景もこの国の貴重な財産である。

 しかし何と言っても、最大資源は「ドラキュラ伝説」ではなかろうか。トランシルヴァニア地方がその物語の舞台である。

 日本の地方都市でも近年「物語観光」の重要性が説かれているが、「ドラキュラ観光」を案内してくれたガイドの話では、世界中から600万人の人々を集めているというから、並大抵の集客力ではない。国連統計では1092万6千人(2017年)がルーマニアの外国人観光客の数であるから、多くがドラキュラ観光を期待しているのだ。

 なぜこのドラキュラという「物語」が、世界中から人々をルーマニアに呼び寄せるのか。物語の不可思議な自己増殖性(セルフプロパゲーション)が鍵になると思える。

 ドラキュラのモデルは実在の人間である、ヴラド・ツェペシュ。彼はワラキア公国(現ルーマニアの一部)の大公三世として、15世紀にオスマン帝国の領土侵略を撥ね退け、ワラキアの独立を生み出した英雄であったのだ。ところがこの英雄が悪魔の化身のように言われるのは、当時ハンガリー王のマーチャーシュ一世がローマ法王の十字軍出征の要請を回避するため、ヴラド・ツェペシュのオスマン軍への寝返りを捏造し、彼の残忍性を喧伝したからだ、とされる。

 さらにこの風説を、アイルランドの作家スラム・ストーカーが「吸血鬼ドラキュラ(1897年)」の名で奇談小説に書き上げた。祖父のドラクル(竜王)の孫がドラキュラ(小竜王)であるから、この題名が生まれた。実は祖国の英雄が悪魔のイメージで現れる複雑怪奇な物語を、大胆に活用して歴史的建物を舞台に陽気に展開したのが「ドラキュラ伝説」なのである。

 ヴラド・ツェペシュが生まれたシギショアラの館はレストランに、祖父のドラクルが暮らしたブラン城はドラキュラ城になり、頭を絶たれた彼の遺体は2つの修道院に眠り、世界の観光客を広域で吸引する。お陰で私たちは2日間も怪人ドラキュラに引き回され、たくさんのドラキュラグッズを買い込んでしまった。

コラムニスト紹介

望月 照彦 氏

エッセイスト 望月 照彦 氏

若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。

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