〈旅行新聞10月1日号コラム〉――旅行新聞 創刊50周年 日々の地道な取材に基づく「良い記事」を
2025年10月1日(水) 配信

本紙「旅行新聞」が1975年の創刊から50周年を迎え、今号では「創刊50周年記念特集号」を企画した。半世紀にわたって新聞発行を継続できているのは「読者の皆様と、観光業界に携わる多くの方々のご支援があってこそ」と特集紙面をつくりながら改めて感じている。
旅行新聞新社社員一同、感謝申し上げます。
¶
2面と3面には、観光団体や海外提携紙のトップから、たくさんの温かいメッセージをいただいた。何度も読み返した。そして「日々の取材活動をさらに磨き上げていくことが、観光業界への貢献につながる」と再認識する貴重な機会となった。
資料整理のために、創刊当時の紙面を開いていくと、いつの間にか時間を忘れてしまうことが度々起こった。パソコンやインターネットが無い時代の、新聞記者の取材に対する真摯な姿勢が、古びて黄色くなった紙面から伝わってきた。
私が旅行新聞新社の編集部記者として入社したのは、1999年4月のことで、旅行新聞50年間の歴史の後半部分に携わってきたことになる。
入社当時はまだパソコンではなく、ワープロで記事を書き、写真はフィルムカメラで撮っていた。校了間際に現像した写真が上手く撮れてなく、全身の血の気が引いて、関係者の誰かが写真を撮っていないか、と電話を掛けまくった。ようやく「写真がある」とわかると、メールもなかった時代なので、地下鉄に乗って写真1枚を借りに行った。紙面で使った写真は掲載紙とともに返却に走った。
このように文字にしていくと、「何と生産性の低いことをやっていたのだろう」と思う。「働き方改革」などという言葉は耳にしたこともなく、残業は当たり前だった。お礼と、1枚の写真を返却に行くと、「来月こんなものを実施するから、よかったら紙面で紹介して」と、イベント概要が記された1枚の紙を渡されることも多々あった。
そのようなやりとりを繰り返していると、関係性が少しずつ深くなっていった。
¶
インターネットがなかった時代は、常時情報を得られるわけではない。だから取材は真剣だった。聞き間違えると大変なことになる。一度いただいた資料はとても大事に取って置いた。このため机の周りはいつも紙の資料が地層のように堆くなっていった。
緊急時にはメールがないため電話取材がとても重要だった。あるとき先輩から「記者は何か起こったときに、電話で話を聞ける人を何人か持っておくことが大事」と教えられたことが印象に残っている。なぜかといえば当時、私にはそのような人が1人もいなかったからだ。
¶
今はネット上に情報が溢れており、記者は資料集めに苦労することは少ない。むしろ、溢れる情報を「短く」、「的確」に伝えることに重点を置く。
スマートフォンの中には、SNS経由で印象操作された情報や、一方的なプロパガンダ、意図的なフェイクニースも混在している。「情報の不確実性」は今後、さらに高まるだろう。
可能な限り、現場に近い場所での真摯な取材と、情報発信への誠実さがなければ、本質には辿り着けない。日々の地道な取材に基づいた、AIには書けない「良い記事」を書き続けるために、旅行新聞はこれからも、観光業界とともに歩んでいきたい。
(編集長・増田 剛)

