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「観光人文学への遡航(59)」 追悼 三尾博氏(6)まとめ

2025年5月4日(日) 配信

 先日シンガポールに行く機会があり、現地のランドオペレーターの方と、私が1990年代後半に日本航空(JAL)名古屋支店で営業をしていたという話をしたら、そのころにシンガポール1泊3日ツアーが大当たりしたねと言われた。運航日の関係で土曜日発の月曜早朝帰りの便が上手くパターンが組めないということで、逆にこの曜日配列だったら有休を取らなくてもシンガポールに行くことができるから、変に長い旅程にすることなく、そのまま1泊3日で売り出そうというこれまた前例のない売り出し方をしたのだった。

 当時、ソウルは3日、香港は4日、ハワイは6日と方面ごとに売れ筋パターンが決まっていた。それを熟知しているベテランは、折角シンガポールまで行くのに1泊3日なんてありえない素人考えだと揶揄した。

 だが、予想に反して1泊3日ツアーはよく売れた。

 そののち、98年のサッカーW杯フランス大会での入場券が流通してこないという問題が発生した。そのとき、入場券はなくてもとりあえず現地に行くサポーターの行動が注目され、その後0泊や1泊での海外旅行が「弾丸ツアー」という名前で一般化していった。あれから30年近くも経過しているのに、現地のオペレーターの方が「名古屋のJALと言えば1泊3日」と覚えていらっしゃったことに改めて驚いた。

 ここまで6カ月にわたって三尾博氏の功績を振り返ってきた。

 当時の私は課内では最年少で、私から見た課長は自分の前に君臨する絶対的な存在であったが、部長や支店長の年齢になった現在の自分から見たら、一課長がよくぞここまでの大きな決断を下したなと改めて感嘆する。ダイナミックパッケージの走りであるジャルパックの「旅ポン」を積極的に拡販するという決断、ルール無用の無頼派で、商慣習の間隙を縫って急成長したHISと直接契約に踏み切るという決断、ここまで肚の据わった決断のできる課長は現在のマーケットにどれだけいるだろうか。

 そして、そのような前例のない大胆な決断に対して、それを認め、見守った部長の存在も忘れてはならない。今は皆責任を取りたくないから、無難なほうへ逃げる上司ばかりである。

 言い古された言葉だが、上司と部下の信頼関係こそがチームが強くなる要諦だ。信頼関係がなければ、最前線で痛みを伴う改善のアイデアを思いついても、最前線の人材がそれを提言することはない。最前線でなければ現場で起こっていることはわからないから、どうも一般的に言われていることに流されるだけになってしまう。だから戦略性のない安売りばかりが蔓延する。

 困難に直面したとき、今も私は三尾課長だったらどう判断するか、そればかりを考えて行動している。そして、死ぬまでその想いは続けるつもりだ。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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