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「観光人文学への遡航(57)」 追悼 三尾博氏(4)

2025年3月7日(金) 配信

 旅行業界は、一般的に名が知られている大手は一部で、大多数は中小企業が占めている。国際線の航空券が発券できるIATA代理店は全国の旅行会社の中でも300社に満たない。そして、IATA代理店であっても、航空会社と直接契約ができる旅行会社はその中の一部である。IATA代理店でない旅行会社、IATA代理店であっても航空会社と契約をしていない旅行会社は、団体用の安い航空券を発券したいときは、ホールセラーと呼ばれる卸業者に発券してもらい、発券手数料を支払って調達することとなる。

 ジャルパックという会社は、高品質のパッケージツアーで知られているが、実はこのIATA代理店ではない旅行会社、IATA代理店であってもJALと直接契約していない旅行会社に対するホールセラーとしての側面もあった。

 私は23歳のときに名古屋支店で国際線団体のセールスマンとなったが、担当社の中にジャルパックがあった。私はたびたびジャルパックのセールスマンとともにホールセール先の中小の旅行会社を訪問し、彼らがジャルパックに対して全面の信頼を置いていることを肌身で感じることができた。ジャルパックのセールスマンも、航空会社のセールスマンがやっていない、痒いところに手が届くセールスを実践していて、見習わなければいけないなと常々思っていた。

 ジャルパックは1994年に、今のダイナミックパッケージの走りになるようなジャルパックが持つ旅の素材をバラ売りでも購入できる旅ポンという商品を導入した。しかし、これがあまり普及しなかった。

 これに目をつけたのが名古屋支店の三尾課長だった。団体から個人へ、パッケージからFITへという流れにはもう抗えない。だったら、その流れをいかにJALグループとして取り込んでいくかという先見の明があった。そして、個人旅行化しても流通に旅行会社が関わっていける枠組みを構築することの重要性を強く認識していた。三尾課長在職中の名古屋支店は、旅ポンで東京支店を上回る全国でダントツの売れ行きを示した。

 その後、旅ポンはいつの間にか姿を消し、ジャルパックはあろうことか中小旅行会社から絶大なる信頼を得ていたホールセール機能をいとも簡単に捨てた。

 ジャルパックは直販へと舵を切った結果、タイムセールと称する安売りをするだけの単なる安売りエージェントに成り下がった。

 今の旅行会社の苦境を作ったのは、ほかでもなく航空会社だ。航空会社は自分たちだけが生き残ればいいとの発想で旅行業とともに生きていく道を捨てた。

 私はJAL退職後、松下政経塾に入ったが、パナソニックが街のでんきやさんの流通網を守るためにあらゆる支援を講じる姿に触れ、企業としての覚悟と品格の違いを実感した。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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