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「街のデッサン(259)」 紀行と思索、旅することの本質は

2022年11月20日(日) 配信

街の角々で、世界が出会う(京都・四条通)

 私は紀行文が好きだ。作家や学者が本業の小説や専門研究だけではなく、旅に出てその体験や印象を記録する。彼らが旅をすることをどう楽しみ、何を得るのか興味が深い。私自身も旅のつたないエッセイを3冊ほど出してきた。旅をすることの意味合いを先人の紀行文から読み解きたいという思いがある。

 人はなぜ旅をするのか。その答えは多様であろう。単に温泉を楽しみたいというシンプルなニーズもあるだろうし、ディズニーランド体験を子供にさせたいという親の希望もあろう。異文化の観察もあれば、美しい風景に感動する「サイトシーイング」というキーワードも大切だ。しかしそれらの愉楽の目的や体験、感動も、人に何をもたらすかというと、私は一言で「学び」ではないかと考える。

 「遊学」が文字通り「旅」に出て学ぶことだとは、ヨーロッパ中世史の泰斗・木村尚三郎先生が教えてくれた。例えば〈森鴎外がベルリンに遊んだ〉とは、遊びにではなく医学を学びに行ったのだ。しかも鴎外は医学を身に着けただけではなく、文学者としての素養を自己啓発し、学んだ。

 木村先生は自ら晩学だと言っている。39歳からフランスの地方のエクス・アン・プロヴァンス大学に遊学した。田舎の暮らしが性に合ったが、この大学に中世史の先達ジョルジュ・デュビー教授がいたからだ。ジョルジュ先生のゼミは2週間に1回。動ける時間を旅することに充てようと考えた。本や史料は日本に帰ってからでも読めるが、ヨーロッパの中世史はその歴史の現場に立ち、頭と身体の肌感覚を通して染み込ませるように学ぶことが大切だと判断した。

 ワインが何よりも好物な先生は、臓腑を通しても歴史風土を体内化したのであろう。このフランスでの旅から得た木村先生の叡智は、無尽蔵な知識・教養となって日本で行われた数多くの国際博覧会の開催コンセプトを生み出すことになる。世界中から日本に「遊客」するMICE事業の基盤となったのだ。私は旅から学ぶ思索の技法を先生から薫陶を受けたが、他にも画家の岡本太郎や民族学者の梅棹忠夫の紀行文からも多くを得ることになる。

 いよいよ旅行業界が期待した「全国旅行支援」の観光促進策が動き出した。旅行費用が抑えられるメリットを歓迎する向きが多い。全国的に旅行者も目に見えて増えている感がある。しかし、損得勘定先行の旅が成果として「学び」に届くかどうか、そして日本人の旅への憧憬と思索という美風が忘却されていることに危惧しているのであるが。

コラムニスト紹介

望月 照彦 氏

エッセイスト 望月 照彦 氏

若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。

 

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