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「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(245)」 日本の原風景、中山道妻籠宿(長野県・南木曾町)

2025年6月7日(土) 配信

馬籠峠の一石土栃立場茶屋

 日本橋を起点とする江戸五街道の一つ、中山道。江戸幕府が1601(慶長6)年から7年間かけて、他の街道とともに整備した。

 中山道は太平洋沿岸の東海道に対して、北回り内陸経由で江戸と京都を結ぶ。江戸から終点草津まで129里10町余(約508キロ)で、ここに69カ所の宿場が置かれた。多くは山道で、東海道と比べると宿場の数が多い。

 とくに岐阜県中津川から長野県塩尻に至る木曽路沿いは昔ながらの11宿(木曽11宿)が残る。戦国時代が終焉すると、各地で城郭・社寺建築のための木材需要が急増し、全国的な森林伐採が進んだ。

 森林資源が地域経済を支えていた木曽谷も、江戸時代初期には森林資源枯渇の危機に陥る。この地を所管した尾張藩は、禁伐などの森林保護政策に乗り出し、地元の人々は新たな地場産業に地域の活力を見出した。そして江戸後期になると、木曽漆器などの特産品が、当時からブームになった御嶽登拝の人々などによって、全国に広まっていった。

 こうした地域の歴史と暮らしは、「木曽路はすべて山の中~山を守り山に生きる」という物語として日本遺産に認定された(2016年)。

町並み保存の原点とも言われる妻籠宿

 5月初旬、木曽11宿の一つ、妻籠宿を訪ねる機会をいただいた。妻籠や馬籠、塩尻の奈良井宿などには、かつて街道観光のテーマで何度か訪ねたが久々の訪問である。

 最初に向かったのが馬籠宿と妻籠宿の境にある馬籠峠の一石土栃立場茶屋。有名な宿に挟まれていることもあり、この日も多くのハイカーが訪れていた。

 茶屋には「妻籠を愛する会」の藤原義則理事長にお迎えいただいた。会は、妻籠宿を中心に在郷集落(ほぼ江戸時代の妻籠村地域)の全戸を網羅する住民組織である。妻籠宿の保全活動は、1968(昭和43)年に開始、日本の町並み保存運動の原点のような組織。学者と行政、地域住民が三位一体でスクラムを組んで事業を推進する、今でいう官民連携の草分けでもある。

 馬籠峠を超えるハイカーは年間約7万人、その75%が外国人である(2024年実績)。来訪者は世界132カ国で欧州、北米、豪州の比率がとくに高い。

 妻籠宿は、昔と変わらぬ素晴らしい景観と佇まいだが、課題も少なくない。人口減、高齢化、空き家の増加などはこの地域も例外ではない。50年以上、地区の景観を含む町並み保全を進めてきたが、集落維持のためには何らかの活用が大きな課題である。宿場にはかつての本陣を活用した資料館、民宿や土産物屋なども並ぶ。いわゆる観光が地域の生業になっているが、この地域が元々生きてきた林業やその資源を生かした地場産業をどのように継承し新たな産業にしていくのか。地域の工夫とこれらを継承する若い人々が活躍できる場づくりが大切だと直感した。

 暮らしと生業を革新しながら日本の原風景を守りぬく。難しいが歴史地域の宿命でもある。

(観光未来プランナー 丁野 朗)

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