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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その12- 北条宗時が眠る函南を歩く(静岡県・函南町) 2人の墓は仲良く寄り添う 北条宗時と狩野茂光の墓所

2022年4月5日
編集部

2022年4月5日(火) 配信

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が好調である。今までの連載は、ドラマを見るための予習に寄与できるかなと思って、ちょっと先取りをして巡ってきた。今回は、小栗旬演じる主人公北条義時の兄北条宗時を片岡愛之助が好演していたのだが、あっけなく出演回が終わってしまったことから、そのあまり知られていない宗時の面影を想像する旅に出てみよう。

 

 北条宗時は史料が残されていない。義時の兄であることは明らかなのだが、政子よりも年上なのか、はたまた政子のほうが年上なのかも判明していない。ドラマでは宗時が長子との設定で展開されたが、そこも実のところはわかっていない。

宗時、茂光の墓標の碑

 「吾妻鏡」にわずかに記述されているところによると、石橋山の戦いで頼朝軍が破れた際、宗時は北条の里(現在の伊豆の国市韮山付近)に敗走する途中で討ち取られてしまったという。

 

 史料の記述が少ないとなると、ここはドラマの脚本家の腕の見せどころである。今回の大河ドラマは三谷幸喜の筆が冴えている。三谷脚本はぶっ飛んでいるようで、実は史実には案外忠実で、史料にないところでは縦横無尽に想像力を働かせ、そのキャラクターを際立たせて人間の生きざまに迫っている。

 

 石橋山での敗戦後、頼朝は真鶴から舟で房総へ逃れて態勢を立て直し、時政、義時は甲斐の武田に援軍の要請に行っている。そこで、なぜ長子である宗時が北条の里への途上で死んでいるのか、三谷は不安な頼朝の気持ちを鎮めるために仏像を取りに行ったとした。

 討ち取られたとされる函南に宗時の小さな墓所がある。さして何があるというわけでもないこのマイナーな函南の地名は、函南駅という駅を鉄道ファンならずとも、私と同世代のとくに男性は、一度は聞いたことがあるはずである。

 

 かつてブルートレインが一世を風靡した時代、下敷きや筆箱といった文房具はみなブルートレインでそろえていた。そのなかでのベストショットはたいてい「函南~三島間」で撮られていたことからも、函南は、丹奈トンネルを抜けて平野に出て、富士を間近に仰ぐことができる風光明媚なところである。

 

 この墓所は、後年時政が夢のお告げを受けて、宗時の菩提を弔うために設立した。場所はJR函南駅から徒歩5分、駅前の坂道を下りて行った道すがらにあるので、アクセスは容易である。函南駅の観光案内図にも、「北条宗時の墓」とテプラで後付けで貼り付けられていたことからも、ドラマが始まってから、にわかに観光客にも認知されたのであろう。

北条宗時(右)と狩野(工藤)茂光の墓

 横にさらに小さい墓が鎮座している。これは狩野茂光の墓と伝えらえている。ドラマでは工藤茂光と名乗っており、米本学仁という巨漢の俳優が演じている。ドラマ内でも茂光はデブキャラで通されていたが、実際の茂光もかなりの巨漢だったようで、巨漢すぎて馬にも乗れず、負傷してもう歩けなくなってしまい、周囲に迷惑をかけるために敗走途中に自害したと伝わっている。

 

 三谷幸喜は構想を膨らませる際、きっとこの墓所を訪れたに違いない。仲良く並んだ2基の墓はどことなく寄り添っているようで、宗時と茂光は道中を共にし、共に殺されたと三谷は想像したのではなかろうか。雄大な富士を目の当たりにして、いよいよ北条の里も近いと思って安心したところで討ち取られてしまった宗時と茂光はさぞ無念であっただろう。

 

 ちなみに、茂光は狩野姓の祖とされているが、その子孫は、室町幕府から、信長、秀吉、家康と仕え、そのまま江戸幕府の御用絵師となったあの狩野氏である。狩野派の屏風絵を見るたびに、今後は工藤茂光のことにも想いを馳せることとなった。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授、日本国際観光学会会長。「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

 

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