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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その8- 源頼朝の二所詣(4)伊豆山神社を歩く(静岡県熱海市) “強運”と“縁結び”の力感じる 赤白の龍は温泉の神様

2021年12月4日
編集部

2021年12月4日(土) 配信

 源頼朝ゆかりの「二所詣」は、いよいよ今回で最終地点である伊豆山神社を訪問する。7月3日に伊豆山地区を襲った土石流被害からの復旧も進み、現在は伊豆山神社へ車でもアクセスできるようになっている。
 
 伊豆山神社はもともと第5代孝昭天皇の時代に遡るとも言われているほど、由緒のある神社である。応神天皇、仁徳天皇からの崇敬も受け、以来歴代皇族が頻繁に参拝している。そのような伊豆山神社は、明治初期に廃仏毀釈が行われる前は、伊豆山大権現と呼ばれ、神仏習合の形態を取っていた。修験道の霊場でもあったため、多くの修験者がこの地で修行した。
 
 

 源頼朝は西伊豆の蛭ヶ小島に配流されていたときも、伊豆山大権現まで足を運ぶことは許されていて、たびたび別当密厳院の覚淵阿闍梨に教えを受けていた。
 
 21歳の頼朝は、平氏方の地方豪族として頼朝の監視役であった伊東祐親が京に出仕している間に、その3女の八重姫と通じ合って子を作ってしまう。帰郷してその事実を知った祐親は激怒し、その子を伊東の轟ヶ淵に投げ、八重姫を他家へ嫁がせ、頼朝の殺害を企てた。頼朝はその情報を得るや否や、伊豆山に隠れ、伊豆山権現によって匿われたことで、命拾いをしている。
 
 その後、頼朝は北条政子と恋仲になる。頼朝と政子はその関係性がばれないように、たびたび伊豆山で逢瀬を楽しんだという。2人の関係を知り、結婚に反対する政子の父北条時政は、地元における平氏の代官である山木兼隆に政子を嫁がせようとするが、政子は山木家に到着した夜に抜け出し、伊豆山に隠れ、伊豆山権現は政子を匿った。
 
 その後、平家打倒の兵を挙げるときも、物心両面から頼朝をサポートしたのが、伊豆山大権現であったとされている。
 
 頼朝は鎌倉幕府を開いた後も、伊豆山大権現への信仰を篤くし、毎年二所詣として参詣している。
 

伊豆山神社本殿

 そのような由緒を持つ伊豆山神社は、頼朝の武勲にあやかり、強運、勝負事の神様として、また、政子との出会いの場であったことから、縁結びの神様として、あらゆる層の参拝者が絶えない。本殿には、強運と縁結びにちなんだシンボル的なものをいくつも目にすることができる。
 
 まず目にするのが、手水舎にある赤白二対の龍である。走湯山(伊豆山の別名)縁起に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧くところは、この龍の両眼二耳鼻穴口中である」とある。すなわち、熱海をはじめとするこの近隣から湧く温泉の神様でもある。赤龍は火、白龍は水を象徴し、二龍の力が和合して温泉として湧き出ているとされている。
 

伊豆山神社の象徴である赤白二龍

 この赤白二龍は、伊豆山神社のお守りにも描かれており、黒を背景に赤白龍が交わるデザインのこのお守りは、ものすごいパワーを感じるものとなっている。今年度受験を控える娘のために迷わず買って帰った。
 
 本殿には縁結びのスポットも数多く存在する。頼朝と政子が隣り合って腰掛け、愛を語り合ったとされる腰掛け石や、縁結びのおみくじを結ぶところもハート型となっていたりして、女心がくすぐられる。ちなみに、駐車場から本殿に向かう道に、女優の小泉今日子氏が寄進した鳥居を見ることもできる。
 
 伊豆山大権現は元々修験の地であったことから、本殿からほぼ1時間山道を登ったところにある本宮社も参拝するべきであろう。現在では本宮社は近隣まで宅地が造成されているので車でも行くことができるが、山道を一歩一歩踏みしめながら参拝するからこそ、心が洗われるものである。山道の途中に、白山神社、結明神本社があり、霊験あらたかな巨石も見られ、この道が修験の道だったことが窺える。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授、日本国際観光学会会長。「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

 

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