2016年3月1日(火) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が対談のなかで、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!」プロジェクトが「第2弾」として帰って来た。シリーズ第1回は、「満足度経営」に切り替えてからお客様満足度評価が上昇し、単価や稼働率も大幅にアップしたホテルナトゥールヴァルト富良野の小林英樹社長が登場する。
【増田 剛】
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小林:創業は1972(昭和47)年です。郵便局に勤務していた父に縁があって、スキー場の前で7部屋の「北誠荘」という民宿としてここでスタートしました。母が主に切り盛りしていましたが、77年にアルペンワールドカップ富良野の誘致などでスキーブームが始まったのです。
内藤:当時の富良野は観光地ではなかったわけですね。
小林:夏はもちろん何もなく、冬はやっとスキーがブームになってきたところで父も郵便局を辞め、本格的に民宿旅館の経営を始めました。当時の富良野には宿自体もなく、スキー場の前の駐車場で仮眠するスキー客もいました。国体が開かれ、旅行会社からも部屋がほしいという需要もあり、当社もこのときから増築を繰り返していきました。
81年からテレビドラマ『北の国から』がスタートし、その後JRのポスターにラベンダー畑が掲載され、ラベンダー畑に多くの観光客が訪れるようになりました。もともと富良野の宿は冬場の4カ月のみで、夏場は休業していましたが、これを機に夏にもお客が来るようになりました。
内藤:現在のホテルはいつ建てたのですか。
小林:旅館は木造として3棟まで増築しており、最大500人宿泊可能なまでに増築していきました。現在のホテルは91年に新築しました。
私は99年にホテルに戻りました。それまで大学、ホテル専門学校に通いましたが、母の背中を見て育ったこともあり、学校を辞めて調理の世界に踏み込んでいきました。札幌、旭川で修業を積み、ホテルに戻ったのは25歳の時でした。
内藤:ホテルに戻ってきた時はどんな感じでしたか。
小林:バブルがはじけてからホテルを建てていますから大変な状態でした。売上は3億2千万円程度でしたが、借金は約11億円ありました。当時は金利だけでも5―6千万円。減価償却費を決算書に入れると、真っ赤になる状態でした。
私は調理の仕事をやっていたので、師のように色々教わっていた人を調理長として当社に呼び、調理場の改革をお願いしました。私は最初にフロントに配属され、そこから改革をスタートしました。例えば、コンビニで1200円で売っているワインボトルを5千円で売っていたので当然売れず、まずは売れるところから始めようと、料金の改革などにも着手しました。
内藤:その後、途中でオーナーが代わっていますよね。
小林:91年から約10年間ホテルを経営していましたが、運営の拙さに加え、地元の銀行が吸収合併され必要な資金を貸し渋りとなり、金利も相当な額面を入れていたにも関わらず梯子を外されました。父もいい辞め時だと考え、01年にホテルと、民宿旅館をある会社に営業譲渡しました。
内藤:小林社長が再び買い戻したのはいつですか。
小林:06年です。同社が北海道からの撤退を考えているときに買い手が見つからず、「私に買わせてくれないか」と申し出ました。その間は、運営していた新しいオーナーの下で働かせてもらっていました。その時期に両親が亡くなりました。
小さな民宿旅館は、私が借りるかたちで運営をしていました。5年間働き、5千万円ほど貯蓄できました。ホテル自体も06年に買い戻す時には約4億2千万円でしたが、オーナーが持っている債権を譲渡させていただきました。
内藤:買い戻してからは、どうでしたか。
小林:31歳の私よりも、周りのほとんどが年長者でした。前運営者からの社員も多く残っておりましたが、次第に辞めていきました。代わりに新しいスタッフとして地元の同級生などを集め、最初の3年はとにかく現場で一生懸命やるだけで、何も考える余裕もありませんでした。
内藤:当時の経営状態は。
小林:稼働率は50―60%でしたが、エリアのなかでは稼働率は高い方でした。2010年ごろが一番良かったですね。同年に旭川パークホテルも買収し、飲食業にも進出した矢先に東日本大震災が発生してキャンセルが相次ぎ、7月のハイシーズンでさえ半値にしないとお客様が来ない状態になりました。それで会社全体が厳しくなったのですぐに分社化し、切り離し作業を行いました。
内藤:どのように分社化されたのですか。
小林:旭川パークホテルを分社化し、飲食業もやめました。
内藤:12年から色々と改革を始めました。
小林:内藤先生に初めてお会いしたのは12年冬、加賀屋でのセミナーに参加したときでした。そこで加賀屋の小田禎彦会長(当時)は「満足度経営」と言われていました。その後、鶴雅グループの大西雅之社長のところに伺ったときも、「満足度経営」とおっしゃっていました。支持される旅館の経営者は同じようなことを話されるんだなと思いました。13年に内藤先生に宿に来ていただいた時はひどく怒られました。収益も良くない状態で、お客様満足度も低く、夫婦で「もう経営を辞めた方がいいんじゃないか」と話しました。ただ、「満足度経営」、つまり「お客様に望まれる宿」であれば、あとからお客様が付くのではないかと考えたのです。
すぐに従業員を集め全体集会を開き、「満足度経営をやりたい」と宣言しました。そしてアンケートの満足度を、レストランや客室など細かく分けて点数の数値化をし、支配人を巻き込んで「見える化」に取り組んでいきました。「半年で満足度評価が伸びなければ売却する」と期限を区切り覚悟を決めたのです。
内藤:従業員に対しては売上よりも満足度を求めたのですね。
小林:売上に関しては、私自身が旅行会社などを必死で回り営業しました。一方、現場には満足度を上げることにすべてのエネルギーを集中させました。じゃらんのクチコミ評点が「3・2」だったのが、9月までに「3・6」まで上らないとやめるという方向を出しました。楽天に至っては当時2点台でした。
内藤:多くの場合、どうしても目先の売上を追いかけますが、従業員には満足度を優先させ、売上はあとから付いてくると信じて、売上を第一に求めなかったのはすごいことだと思います。「お客様の満足度が上るのだったら」と、改革を継続されたのですね。
――満足度が低かった原因はどのあたりだと思われますか。
小林:今から考えるとお客様を思いやる気持ちがなかったですね。お客様のために何ができるかという、モデルチェンジの必要性を感じました。
内藤:本来サービス業はお客様を思いやる商売。どうしてそのような気持になれなかったのですか。
小林:私自身が惰性に陥っていたと思います。社員には常に「満足度」と言っていましたが、1人の力では何もできません。浮いてしまうだけでした。支配人に文句を言ったりもしましたが、内藤先生にも叱られ、大手旅行会社にも怒られ、やはり自分自身が変わらなければダメなんだと思い、支配人に謝って「一緒にやっていこう」と女将も巻き込んでいきました。組織を変えていくには1人よりも、2人3脚、3人4脚で変革に取り組んでいくことが大事で、それ以降大きく物事が変わっていきました。
昼食の団体や地元の宴会などは1億円ほど売上がありましたが、宿泊業に専念していきました。私は従業員と顔を合わすたびに「満足度」「満足度」と同じことばかり言っていましたので、満足度を追求する社長について行くか、離れるかの二者択一しかないと社員一人ひとりが理解したのだと思います。満足度一本槍で、その代わりに複雑なことは言わないと自分で決めました。
すると、次第にアンケートの点数も上っていきました。従業員も自分の仕事に自信を持つような表情に変わっていき、半年間でじゃらんの評点が「3・8」まで上がりました。翌3月までの半年で「4・2」となり、地元・北の峰町にある4軒でトップになる目標を達成しました。今は「4・5」―「4・6」をキープしています。
内藤:それはすごいですね。この過程でファミリー層にターゲットを絞ってきました。
小林:従業員との格闘もありました。当時は多種多様な客層を取っていたので、お客様の年齢が違えば料理の好みも違います。また、ビジネス層とファミリー層も求めるものがまったく異なるため、複合がはかれない。このため「社長の言っていることがわからない」というようなことを言われました。そのときに、白老町虎杖浜の「心のリゾート海の別邸 ふる川」という宿に出会いました。「第二の我が家」を感じさせるホテルで「気持ちだけはありますから、お客様がご指導ください」と自負されていました。私はふと、「プロがすごいのではなく、気持ちだ」と思い、全体集会でその話をすると、スタッフから「社長がやりたい宿は『旅人の第二の我が家』ではないですか」と言ってくれて、確かにそうだと確信しました。スタッフと話し合うなかで「親戚みたいな対応ができる宿を作ればいい」と言ったとき、「何も難しいことをやらなくてもいいんだ」と従業員の目が輝いたのを覚えています。その瞬間ファミリー層にターゲットを絞ろうと決めたのです。それから10日に1回は社員集会を開き、腹を割ってぶつかり合いました。
目的はホテルの存続。そのためにはお客様が満足する宿にしなければならない。そこで「心の中に溜めるな、言いたいことはすべて言え。こっちも言いたいことを言う」とやり合いました。すると、普段あまり話さない社員も色々と意見やアイデアを出してきました。
内藤:そこからさらに、より接客を追求していったわけですね。
小林:じゃらんのクチコミ評点で「4・2」を達成し、目標だった北の峰エリアでトップになることができました。その時期に料飲部門だけ分社化させましたが、外部のスタッフも入れたので人数が多くなりました。サービス課を作ったのは14年4月です。レストランを任せていた接客の上手い女性スタッフがいたので、レストランとフロントの中間にお客様について回る「顔」となる役割を作りたいと思い、レストランのサービス課を新設し、女将と支配人にも入ってもらいました。
内藤:具体的には何をやるのですか。
小林:サービス課は各セクションに強い意見を言えるので、一例を挙げると、「記念日のお客様がいます」と無線で連絡し、厨房にはフルーツの盛り合わせや「チョコペンでメッセージを書いてね」など指示を出します。また、当日ハネムーンのお客様を見つけたり、レストランのスタッフと一緒に「ハッピーバースデイ」を歌ったりと、全体の指揮を取っています。夜にお手紙を書いて翌朝お客様に持って帰ってもらうことなども行っています。そのほかにもレストランでテーブルを周ってお話をしたり、子供に折り紙で鶴を折ったり、子供が食事に飽きたらスタッフがキッズコーナーに連れていったりもしています。
内藤:ミキハウス子育て総研認定の赤ちゃんに優しい宿「ウェルカムベビーのお宿」の取り組みはいつからでしたか。
小林:13年11月からです。
内藤:さらにファミリー層のサービスを厚くするためにですか。
小林:そうですね。100項目くらい要件をクリアしなければなりませんが、芯のある宿になりたいと思ったのです。例えば急病のお客様がいらして病院に電話するときも、ただ電話するのではなく、一緒に付き添うなどの配慮が本当にできるのかなと、確信できない面がありました。
――修学旅行の受入について今後どのように考えていますか。
小林:全館250人収容で、半分が修学旅行、もう半分が一般客ということもありますが、グリーンシーズンについては17年から修学旅行は全館貸切だけを受けるようにしようと考えています。当社も双方に目を配るのは難しく、両方のお客様に負担をかけてしまうので、4―11月までは割り切ることにしました。冬はインバウンドのお客様もいますので、修学旅行を受け入れてもそれほど迷惑をかけることはないかと考えています。
ただ、修学旅行には継続できるストーリーが必要だと思っています。修旅のお客様が10年後に必ず帰ってくる施策を私たちが持っているのならいいのですが、どうしても目先の利益に走ってしまいがちです。周辺のホテルでも修旅を受けているので大きな問題はないようにも思っています。全館貸切を重宝しながら、徐々に減らしていければいいと考えています。
内藤:小林社長との2回目の出会いが14年6月の東京での会合でしたが、9月にも訪問させていただきましたが、約1年半で宿が大きく変わったという印象が強くありました。
そこから改革がさらに加速していくわけですよね。当初は客層や「満足度経営」という方針を明確にしました。次に「旅人の第二の我が家」をコンセプトに決め、客層を「ファミリー層」と明確化し、今は現場のオペレーションの改革を継続されていますね。
小林:冷蔵庫はすべてガラス張りにして見える化し、食材それぞれの保管場所を明確にするための住所として各冷蔵庫に番号札も付けています。ガラス張りにしたのは繁忙期と閑散期ではどれほど量が違うのかが、リアルタイムで見えるという効果がありました。現在取り組んでいるのは、なかなか上手くいかない部分もありますが、昼間の時間に調理をさせないなど、内藤先生が提唱されている、すべての作業工程がお客様により近づける「リアルタイム・サービス法」につなげています。
内藤:朝食と夕食バイキングのレイアウトを大きく変えていますね。
小林:「コックピット方式」という内藤先生が他館でも導入しているやり方ですが、厨房のなかではなく、食事会場で、焼く・煮る・揚げるという場を作ったので、そこですべてを作って小出しに提供していくことに取り組んでいます。これによって廃棄ロスが7%から、発注を細かくすることによって、約3%まで落ちました。
内藤:お客の目の前で作るから廃棄ロスが減る。なぜかというと、お客の状況が良く見え、お客が少なくなってくると、必要以上に料理を作らなくなるからです。以前のように予測に基づいて調理すると、当然予測は外れるので、ムダや機会損失が増えてしまいます。
小林:食材仕入れは年間3―4%落としたことで1千万円弱の削減につながりました。最終的には2%弱までダウンしたいと思っています。一方、廃棄ロスがゼロに近づいた分、調理場に高品質な食材を提供することも可能になっていきます。
内藤:分母の効率を上げて、分子の価値を上げていくことですね。
小林:レストランのスタッフがちょっとした調理ができるように徐々にシフトしています。リーダーを決め、オーバーフローしそうなときに無線で手伝ってもらうように育成しています。
内藤:子供向けのバイキング台のコーナーも作られました。こういった取り組みもファミリー層に細やかに配慮された優しい宿という印象を受けます。
また、ロビーのすぐ横のスペースで無料のドリンクコーナーも作られていますね。普通は館内の自動販売機の売上が減ることを心配する経営者も多いと思いますが。
小林:パソコンやテレビモニターなどを設置して観光協会のように情報を提供できる場に無料のジュースを置いています。囲炉裏を作ってマシュマロを焼いたり、ウェルカムフードとしてジャガイモを蒸したものを提供しています。ホテルの前にバス停があるので、外のお客様も入って来ますが、それも狙いなのです。「外は寒いので入ってください」と声をかけることで、来年当館に来てくれるかもしれません。1人単価150―200円かかりますが、高が知れています。
内藤:経営者は総論的にやった方がいいと思うことがあっても、個別に見ると、どこかの売上が下がるからという理由でやめることが多いですが、小林社長のように「150円コストをかけることによって来年宿泊してくれたらいい」という考え方はなかなかできないものです。
小林:ダメだったらすぐにやめたらいいと考えています。とくに夏場は連泊が少なく、今日と明日のお客様は違うので、何でも実験することが大事だと思っています。
内藤:色々なことを試みた結果、実際にお客の評価が上がり、宿泊客が増え、単価も上っています。お風呂も随分改革をしていますね。
小林:女性大浴場に脱衣所とは別にパウダールームを作りました。それから子供が滑って転ぶこともあったので、洗い場も畳敷きにしました。
内藤:シャンプーバイキングも導入しました。
小林:お客様に色々なシャンプーを楽しんでもらいたいという思いもありますし、お客様が普段使っているシャンプーを持って来なくてもいいように女性大浴場に6種類ほど用意しています。
内藤:満足度経営にシフトされて、食事も風呂もパブリックスペースもさまざまな改革を行い、満足度評価は上っていきましたが、集客や単価はどうですか。
小林:稼働率は年間約10%ずつ上っています。単価は毎年2千円ずつ、売上は1億円ずつ上っています。12年の宿泊売上は2億9千万円、13年は3億2千万円、14年は4億2千万円、15年は5億2千万円というような状況です。16年は6億円を見込んでいます。
宿泊単価は、12年は素泊まりで3千―4千円から、現在は閑散期の素泊まりは6千円ほどです。1泊2食はスタンダードで8千円―1万2千円、ハイシーズンでは1万9千円。ウェルカムベビーの部屋は1人当たり2千円アップ、レディース向けの部屋も2千円アップで販売しています。
内藤:大規模な改修ではなく、既存の施設のままサービスの改善によって単価や稼働率をアップされているのは素晴らしいと思います。また、多くの宿が直販に重きを置くなか、旅行会社とは共存共栄の関係ですね。JTBのお客様満足度評価が上ったことにより、ハイクラスのカテゴリーに組み込まれるようになったそうですね。
小林:ファミリールームは大人気です。とくにウェルカムベビーの客室は今後増やしていこうと考えています。
内藤:フェイスブック上で無料のモニタープランを展開していますが、具体的に何をやっているのですか。
小林:閑散期に30―40組ほど受け入れ、アンケートに細かく答えてもらっています。例えば「今治のタオルを置いてほしい」という要望や、枕の種類の希望などがあります。宿泊無料なので遠慮なく色々とお客様の声を聞けるのがいいですね。自分たちがまだまだ対応可能なことをお客様に直接聞けることが大きなメリットですし、モニターとして宿泊された方は思い入れも強くなり、他のお客様も紹介してくれます。スタッフやホテルを作るのと同時に、お客様も一緒に作っていきたいという思いがあります。
内藤:「ゆるキャラ」にも取り組んでいます。
小林:受け入れる私たちが堅苦しければお客様も堅苦しくなると思い、まずスタッフのネクタイ制度を止めました。それから、「ナルちゃん」「バルちゃん」というキャラクターを設定しました。マグカップやメモ用紙、Tシャツなどグッズも少しずつですが売れています。テーマソングも作りました。
内藤:朝、ゆるキャラが登場し、ロビーでチェックアウトのときに、お客様の写真を撮ったりしていますね。
――ナトゥールヴァルトはどういう意味ですか。
小林:「自然の森」という意味です。でも名前を変えようと考えています。お客様アンケートに「このホテルはいい宿だけど、ホテルの名前は忘れるかも」と書いてあり、もう少しシンプルにしようと考えています。
内藤:今後は設備投資も含めて方針は。
小林:今はファミリー層をメインターゲットにしていますが、すべてのジャンルに強くなりたいですね。カップル層からファミリー層になって、その後夫婦になっていく部分と、一方で、ビジネス層にも対応していきたい。外国人旅行者向けのコンドミニアムなども、それぞれを棟で分けたいと考えています。現在の施設は20年前の建物をモデルチェンジしているので、現状ではしっかりとした食事会場がありませんし、大浴場も今の状態では対応できなくなってきています。新しい食事会場と大浴場が必要になっています。
内藤:大きな設備投資になりますね。
小林:20億円くらいを見積もっています。レストランはもっと完成度を高めて、使いやすいようにしていこうと思っています。キャパが小さいため、どうしても2回以上に分けて提供しなければなりません。一度で全員が収容できるようにしたいですね。カウンターのすぐ後ろにピザを焼ける窯があったり、パフォーマンスができる環境が理想です。調理場を作らず、食事会場のパフォーマンススタイルの中で、調理をするように考えています。
内藤:厨房でお客様が食事をする発想ですね。仕込みもやらず、既製品も使えないので野菜や魚介の原価は下がります。
大浴場はどのように変えるつもりですか。
小林:3階建てで、男女浴場と下にエステや岩盤浴を備えようと計画しています。ロビーフロアを軸にすべての施設に行けるようにしたいですね。わかりやすくレイアウトできたらと思っています。レストランも連絡通路でつなげて、大浴場の待合室のように使えないかと思っています。
内藤:富良野全体を一つのストーリーに再構築していきたいとよくおっしゃっていますが、地域に対する考え、戦略は。
小林:一つに、全国的に知られているドラマ『北の国から』があります。私はこれを上手く利用しない手はないと思っています。富良野演劇工場には、脚本家や俳優もいるので、富良野を舞台にしたストーリーを集結してホテルで演劇ができないかと話しています。例えば、駐車場に“黒板五郎さん”に扮した役者がいたり……。そういうことに取り組みながらホテルも変わっていかなければなりません。
内藤:インバウンドはどんな感じですか。富良野を歩いても多く見かけるようになりました。
小林:増えていますね。ニセコに来ていた外国人がニセコに集まり過ぎて、富良野に流れてきているみたいです。ほとんどが1泊朝食付か、素泊まりで、7泊など連泊客も多いのが特徴です。
内藤:会社の将来像は。
小林:10年かけて今の会社が絶対に潰れない企業へと育てたいと思っています。人事考課を作っていますが、企業として成長していくうえで誰でも経営者になれるかたちを作っていかなければならないと思っています。サービス業では、やってみなければわからないことが多々あります。畳風呂も最初はどうかなと思いましたが、大きな効果を出しています。十人十色と言われますが、誰もが正解なのかなと、最近感じています。思いがあるスタッフがいれば、やってみた方がいいのではないか。ホールディングスとしてそのような経営者を作っていこうとしています。
内藤:ホールディングス傘下のさまざまなホテルに、経営者を育てながら現場に配置していくということですね。
小林:現在120%ほどスタッフを増員しています。今はそのトレーニング期間だと考えています。支配人が経営者層に上がっていくシステムです。
――今は人手不足が問題になっていますが。
小林:当社はむしろ人が多過ぎるくらいです。
内藤:一つは生産性を上げる努力をしているから人が余っているように感じているのだと思います。人が余っている、足りないというのは生産性次第です。不足、不足と言いながらムダなことをやっていれば、たとえ人員が余っていても足りなく感じますから。
満足度経営に舵を切ってこれだけ短い期間で成果を出されたことは、素晴らしいですね。満足経営をさらに追求してください。今後も楽しみです。
※ 詳細は本紙1620号または3月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。