2012年8月1日(水) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している旅館がたくさんある。社員の職場環境を整え、お客様と真摯に向かい合える仕組みができているのが特徴だ。「いい旅館にしよう!」プロジェクトの第6弾は、滋賀県・琵琶湖畔おごと温泉「湯元舘」代表取締役会長の針谷了氏と、産業技術総合研究所の工学博士・内藤耕氏が、社員による改善活動によって働きやすい職場づくりが継続されている事例や、旅館の科学的経営について語り合った。
【増田 剛】
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針谷:湯元舘は祖父が1929(昭和4)年に創業し、おごと温泉では一番の老舗旅館です。
私が同志社大学に入学して4カ月が経った18歳の夏休みのこと。社長だった父親に呼ばれ、一言「湯元舘が潰れる……」と言われました。数年前に増築したのですが、それが大失敗だったのです。翌70年に大阪万博でたくさんの予約が入っているという理由で銀行が潰さなかったのですが、事実上の倒産でした。
その後も数回危機を迎えた76年に、私は意を決して父に「経営を自分に替ってくれ」と頼むと、社長の証である鍵の束をあっさりと渡されました。大学に通った5年間に企画づくりや営業セールスもやっていたので、「4800円で12品・5大サービス付き」というプランを作ると、大ヒット商品となり1期目で黒字に転換しました。それまでビールやお酒などすべて定価で納入していましたが、噂を聞きつけた業者さんが次から次に来たのでどんどん値切っていきました。次の年は同じ売上でしたが、利益は飛躍的に増えました。
76年に私が経営を引き継いでからも幾つかのヒット商品もありましたが、塗炭の苦しみも味わいました。その後、全旅連青年部に出向。そして、青年部長だった萬国屋の本間幸男さんがリョケンを紹介してくれ、木村臣男先生にご指導いただくようになり、私の考えが徹底的に間違っていたことに気づきました。
内藤:どの辺りが間違っていたのですか。
針谷:自分でもおかしいなと思ってはいたのですが、食べていくのに必死だったために、「金儲け」しか考えていなかったですね。お客様に喜んでいただいた結果としてお金をいただくということが思い浮かばなかった。ヒット商品のことばかり考えていました。
内藤:湯元舘の特徴である改善活動は、いつごろから積極的に取り組むようになったのですか。
針谷:「月心亭」が完成した99年以降、放っておいてもお客様が入る状態になり、このままでは「湯元舘は駄目になる」と思いました。私はお客様に来ていただくという苦労が身にしみていますが、それを知らない社員が「これが普通だ」と思う気の緩みに危機感を覚え、旅館単体として初めてISO14001認証取得にチャレンジました。旅館業にお手本がないので大変でした。旅館業には接客が好きだとか、情緒性に富んだ社員が多いのですが、論理性に優れた社員は少ない。ISOに挑戦して狙い通り、社内の引き締めと論理的に物事を考えるという習慣がつきました。
針谷:95年の社運をかけた第三期設備投資で抜本的な作業改善を行いました。大学時代から配膳や裏方をトコトンやりましたので、作業の負荷がどのくらいであるかは体験して知っていました。「ばん重を抱えてエレベーターのボタンを押して待つ。乗ると、降りる階のボタンを押して――ということを何度も繰り返す」作業は馬鹿げているでしょう。そんな機械でもできる作業は絶対に社員にやらせたくないと思いました。バーチレーターという垂直搬送機を導入し、99年には70㍍の水平搬送システムを導入して裏導線を整備し、社員が働きやすくしました。仕組みや多額の設備投資をともなうものは経営者しかできないと思います。02年からは改善活動(改善メモ)を始めました。改善活動は社員レベルなんですね。
内藤:もともと社員の働き方を整理していきたいという思いが強かったのですか。
針谷:施設を建てるときも、収納の移動距離を縮める、スリッパを履いたり脱いだりする回数を減らす、中腰作業を減らす、布きんを洗う時にわざわざ遠くに行くような使い勝手の悪さはなくそうと、極力負荷を下げる工夫を一生懸命考えました。人件費削減はまったく考えていません。人件費を減らすことを目的として改革に取り組むものはダメだと思います。
湯元舘の社員は情緒性に富み、創造力を持っています。「会社に貢献したい」と皆が思っています。その社員に活躍する舞台やチャンスを与えるのが私の役割です。
社員の改善へのアイデアはすごいと思います。次から次に出てきます。たとえば、歯ブラシの梱包が届くのですが、以前は保管場所にハサミを持って行って開けていましたが、100円均一で買ったハサミを置くようにした。しかし、そのハサミが紛失するケースが出てきたのでフォルダーを作った。でもフォルダーに入れ忘れる人もいて、ハサミにひもをつけた。これで解決かと思ったら、より自由度の高いゴムに変えました。私は、この改善への意欲を素晴らしいと思うんです。年に1度、全社員が参加して投票で「改善大賞」を選び、表彰しています。
内藤:改善というとコスト削減や、リストラと勘違いされる方がいますが、善く改めようとする現場の努力がとても大切です。仕事のやり方を変えることによって効率を上げていくことがポイント。経費を掛けずに現場の努力によって良くしていく姿勢が素晴らしいと思います。
針谷:改善のアイデアの9割は、経営者である私には思いつかない。現場で働いている社員だからこその視点です。
内藤:引き戸を吊るし戸に変えたこともすごいですね。飲食店さんも含めてなかなか実行されているところは少ない。
針谷:釣り戸にすると下のレールがなくなり、フラットになる。肘で開けることができる利点もある。水道の蛇口も湯元舘はレバーにしています。そうすると調理人は両手がふさがっていても水を出したり、止めたりできる。これも現場からの意見で実行しました。
内藤:各部署の連携はいかがでしょうか。
針谷:ルーム係が間違えたり、宴会で料理が1品足りない場合でも、文句を言わないようにしています。まずはその現場のお客様に迷惑を掛けているのだから、そこを解決することが最優先。そこで激しく叱ってしまうと、ルーム係は言わなくなり、お客様にもっと迷惑が掛かるので、その部分は社員の共通理解ができています。
内藤:針谷さんがよく話される旅館の科学的経営といえば、朝のコーヒーをエスプレッソマシーンで入れることを決めました。湯元舘も実際、現場から「団体客がまとめて来た時にそれでは間に合いません」という声が返ってきたのを、あえて社長の判断で機械を導入した理由はなんですか。
針谷:ストップウォッチで時間を計ったんです。そうすると、10杯以上でなければ1杯ずつ作った方が速かった。10杯の注文はどれくらいあるのかと聞いたら「ほとんどありません」という答えだった。これで現場はみんな納得しました。
内藤:現場はどうしてもピークタイムに合わせて物事を考えてしまいがちです。また感情的、エモーショナルに動く傾向があります。
針谷:そうですね。だから数字を見せると皆が納得してくれるんです。納得すれば社員は動いてくれます。
内藤:感情とは別の土俵である数字という客観的な視点から議論していくという点で、エスプレッソマシーンの事例は非常に分かりやすいです。
針谷:それと、食器洗浄機の前洗いをされるところが多いですね。なぜ前洗いをするのかと聞くと「落ちませんから」と言う。食器洗浄機には洗浄とすすぎが入っています。私は前洗いをやめさせました。そして20皿のうち汚れが落ちなかった1皿を洗えばいいと指示しました。これで仕事は20分の1になりました。
内藤:「ありがとうカード」も継続されています。
針谷:「ありがとうカード」は社内融和を目的に始めました。カードを出した社員も、もらった社員も1枚に付き100円もらえる。カードをもらった方が100円もらえるのは理解されやすいですが、出す方も「ありがとう」という気持を持って一生懸命書くことによって感謝の気持ちが蓄積されていくのだと思います。月に600―800枚出ますから年間で100万円を超えますが、安い話です。何枚書いてもいいのですが、月に1千円を上限としています。年間で1番たくさん書いた人、もらった人に「感謝大賞」として表彰し賞金も出しています。
内藤:それはうれしいですよね。サービス産業は社員間の協力関係がとても大事なこと。「やってくれないから文句を言う」というのは多くの現場で聞かれる話です。
針谷:文章では書けるけど、面と向かって感謝の気持ちを言えない性格の社員も中にはいます。感謝の手紙が来れば、もらった人に書いた人の気持が伝わるのです。
内藤:私が湯元舘がすごいと思うところは、バックヤードが綺麗に整頓され、清掃など基本的なところがきちんと徹底できているところです。
針谷:どこまでできているかわかりませんが、基本的な部分はしっかりやるようにはうるさく言っています。
――旅館業界について
針谷:旅館業界が低迷しているのは、画一化されて面白くないからです。マネジメントの部分は学ばないといけませんが、商品などの成功事例を真似てはいけないと思います。どこもやっていないことをやることが大事で、そうでないと面白くないですよね。
内藤:まったく同感ですね。裏(バックヤード)は標準化して、表は多様化しないと消費者も選択肢がなくなってしまう。特徴を出してお客様が選べるようにしてやらないといけないという時代です。スーパーマーケットもそうですが、上手くいったところを真似する傾向にあるんです。自分がやりたいこととお客さんが求めるものとのマッチングをはかることが大事だと思いますね。
針谷:旅館経営者はお客様の隠れた要望がどこにあるのかという鋭い感性を磨いて、商品化して世に問うというチャレンジが必要です。それがお客様に支持されたときほどうれしいことはありません。同時に旅館経営を再現性、客観性という立場から科学すべきだと思います。しかし、その根底にはやはり「感謝」する心が必要なのです。
マネジメントについては、現場のオペレーションやマーケティングは結構皆さん一生懸命やられますが、それを支える財務が全体的に弱いですね。だけど、若い世代には素晴らしい経営者が多い。私は旅館の地位向上・発展がライフワークだと考えていますので、旅館業界の若手に何らかの影響力を与えられるといいなと思っています。
※ 詳細は本紙1470号または8月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。