2012年10月21日(日) 配信

「いい旅館にしよう!」プロジェクトのシリーズ第7弾は、千葉県・岩井湯元温泉「網元の宿 ろくや」と、南房総の鏡ヶ浦温泉「rokuza(ロクザ)」を経営する渡邉丈宏社長が登場。臨海学校の学生相手にしていた民宿「ろくや」は今や稼働率95%、じゃらんネットの口コミはほぼ5点満点。若き渡邉社長と、産業技術総合研究所の工学博士・内藤耕氏との対談で、厳しい経営環境のなか、高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得ている理由を探る。
【増田 剛】
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渡邉:「網元の宿 ろくや」の創業は祖父の代です。本業が別にあったのですが、岩井海岸が臨海学校のメッカと言われた時代に、田舎で家が広かったために「部屋貸ししよう」というところから民宿業が始まりました。私自身も中学・高校時代に臨海学校のお客様の皿洗いなどを手伝っていました。
大学のサークル活動が全盛だったバブル期に、木造の建物から、父親が新しく建て替えをしました。7・5畳の客室が30部屋ほどになりました。当時は1部屋に学生8人くらいを収容していましたからいい時代でした。しかし、バブルがはじけると、サークル活動も下火になり、60―70人で貸切にしていたのが、30人程度まで激減し同じ客室稼働率でも売上げは半減しました。さらに、父が本業で経営していた海運業の親会社がおかしくなり、「実質破綻先」となりました。そのころ私は東京にいたのですが、どうも家がおかしいということで24―25歳のとき、千葉に帰ったのです。 帳簿を見ながら「何がいけないのか」「借金がどのくらいあるのか」と調べ始めたのが数字の勉強のスタートでした。30歳までの間、「大変な時期だから」との理由で給料は月10万円程度でしたが、自分の給料から会計士との相談料を捻出しながら「債務圧縮をどうするか」など、銀行との折衝を行っていきました。 さまざまな交渉のなかで、初めて明確な目標ができたのは、銀行から「2億円を融資をするから、あなたが宿を買いなさい」と言われ、2億円を返済するために売上目標を設定されてからです。年間約8千万円の売り上げを、2年間で1億5千万円に倍増しなければなりませんでした。
施設には特徴的なものは何もありませんでしたが、父が趣味の延長で定置網をやっていたので、これを宿の唯一の武器としました。自分のところで獲れた魚なので仕入費がタダなんです。7・5畳の狭い客室でしたが、東京から新鮮な魚を求めてお客様が来るようになりました。何も投資ができないなか、食の部分から改善していきました。伊勢エビ、アワビ、船盛り、焼き魚など獲れたての魚介類を中心に提供し、1泊2食8600円で売りました。 テレビの旅番組でも紹介してもらえるように、「定置網の宿」を前面に出した広告をじゃらんなどに出稿しました。その戦略が当たり、テレビ取材で半年間、予約で埋まりました。 従業員のいない家族経営の民宿でしたから、30室を満室にして疲れ果てるよりも、1日最大20人しか受けず、余裕を持ってお客様に対応できるようにしました。「満室」というと、お客様は先の空いている日に予約を入れてくれるようになりました。すべての予約を受け入れていれば、きっと文句を言われ、不満足のままお客様は宿を去っていったと思います。テレビ番組は10数回出ており、宣伝についてはテレビを上手く利用しました。毎日20人のお客様をきっちり満足させることに集中したことでリピーターがついてきました。 その後、2つあった1階のユニットバスを、壁をぶち抜いて貸切風呂を2つ作り、これで平日も平均20人のお客様を迎え入れることができるようになりました。リピーターも増えていき、仲良くなると会話の中で、「料理はいいけど、ここがダメ」といったように、宿に何が必要かを教えていただきました。お客様の声を参考にしながら、学生向けの食堂のような食事処を「個室ダイニング」のスタイルに、自分でデザインし改装しました。1階の雰囲気のある食事処で提供すると、リピーターがさらに増えていきました。銀行に内緒で2階の改装も行いました。今は16室と、リビング+4ベットルームという部屋があり、この部屋は6人以上の団体しか受けません。大体12人以上の予約が多いので、最大20室というような感じです。
内藤:30室だったものを、現在の17室まで減らしたのは、目的を「満足度を上げるため」と徹底したためですか。
渡邉:2階の15部屋を2部屋で1部屋にし、8部屋にしました。狭い民宿の名残のある3階は土曜日しか使わずに、平日は確実に満足してもらうために、売れない部屋は完全に切ってしまい、1階と2階だけで宿を完結しようと考えました。そのうち平日にも平均20人のお客様がどんどん増えてきたので、3階部分の改修に取り掛かったのです。1年半前に南房総・館山の姉妹館「rokuza(ロクザ)」を手がけたのも、ろくやのお客様が一杯になり、お断りをするお客様がもう1軒分あると判断したときに、ある企業の保養所を買いました。
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――じゃらんのクチコミ評価も高いですが、社員の接客の教育はどのようにされているのですか。
渡邉:接客の基本的なコンセプトは何一つ変わっていません。「常識人であれ」というのが唯一の方針です。「このお皿をこのように置きなさい」というような指示はしたことがありません。「こうしてあげた方が親切でしょう」というのが世の中の常識だと思うのですが、これさえしっかりしていれば、絶対に上手くいくと思っています。ソフトはそれなりに考え尽くしたものがありましたので、宿が提供する部分に関しては、お客様に評価していただいているという自負はあります。今は社員が35人います。平均年齢は30歳くらいと若く、最近は新卒の入社も増えています。
会社なので従業員や経営者にも不満が出てきますが、「どのような不満があるのか」と聞いたところ、たとえば料理は板前がこだわってでき立てを出したい。サービス係はお客様を待たせたくない。ここでぶつかるわけですが、これは双方がお客様の方を見ている前向きな衝突なのです。「あいつがサボっている」というようなものではない。この最高のぶつかり合いがあるなかでは、社長が陣頭指揮を取っても空気を汚しますので静観しています。
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従業員には何度も言っていますが、「髪の毛が1本でも料理に入っていたら全額無料だ」という、“ろくやイズム”が浸透しているのだと思います。宿は料理や従業員の笑顔など、施設の中でできあがった空気感をお客様に買っていただく商売だと思っています。“パッケージ売り”であるのに、1つの部品に不備があったから、その部品の料金を値引きしますという姿勢でお客様が納得するとは思っていません。
気持ち良く「すべての旅行を台無しにしました」と謝罪すべき、というのがろくやの基本的なスタンスです。これを会社の縛りとして持っていないと、常識的な従業員が育たない。「30円のひじきに髪の毛が入っていたので100円引いとけ」というような姿勢を経営者が見せると、そのような社員しか育ちません。
内藤:そこにプロとしての責任感が育つわけですね。
渡邉:そうですね。社員にどんどん責任を背負わせています。宿のコンセプトをしっかりと理解している社員には、歯ブラシの質が同等で1円でも安ければ、本人の決済で納入業者を変えさせています。
内藤:ろくやの接客は人付きではなく、チームでやるのが特徴ですが、食事を提供するときも、1人のスタッフが1つのテーブルを担当するというスタイルではないですよね。
渡邉:基本的にはそうですね。そのなかで、お客様とのフィーリングというものもあります。日本酒の好きなお客様には日本酒に詳しいスタッフが行き、情報共有し、自分のお客様にしていく。アンケートに書かれたスタッフの名前をグラフにしていますし、充分でない場合は、何が足りないのかをスタッフに考えさせています。接客係は単なるお皿を運ぶ人ではないのです。
宿が提供できる限界点は、じゃらんネットにしても4点まで。それ以上の評価の上積みは、「人がどのように介在するか」にかかっているのです。料理も季節のものは当然考えますが、「お客様との接点が増える料理」や、「お客様が心を開いてくれやすい料理」といったところまで考えています。ろくやには従業員を育ててくれる常連のお客様がたくさんいるので、常識を身に付けるまでの研修施設とも考えています。rokuzaは、ろくやで経験を積んだスタッフで運営しています。
内藤:リピーターへの対応は予約が入った時点で考えるのですか。
渡邉:リピーターはパソコンに情報が入っています。その人に合わせた料理をお出しすることを心掛け、コースを変更してでも「前回食べて美味しかった」と言ってくれたものを用意します。一番気にしているのは2回目のリピーターのお客様です。1回目は料理や施設の雰囲気で来てくれるのですが、小さな宿ですから2回目には大体宿のすべてをわかり、それほど大きな驚きはありません。「それぞれのお客様にとって特別な宿になるにはどうすればいいか」と考えます。ここで、どれだけ人が介在できるかが勝負になります。ろくやのリピーターにとって料理は、「確実に新鮮なお刺身が食べられる」という程度です。「宿に来たときに従業員とのやりとりが楽しい」といった部分で多くの常連さんは来てくれています。ろくやの場合、リピーターは「料理」よりも「人」に付くと思っています。2回目のお客様に「特別なお客様です」というオーラをどれほど出せるかが重要になってきます。
内藤:以前、rokuzaに泊まったときに、バスの出発時間を聞くと、別のスタッフが教えに来てくれました。そのようなことが何度もありました。バックヤードで情報共有がしっかりとされている印象を受けました。
渡邉:従業員はインカムを付けているので、誰かが情報を流せば全員に伝わるようになっています。宿の滞在中にお客様が感動する場面はたくさんあるのです。たとえば、右利きに用意されていたものが、翌朝には左利きにすべてセットされていたり。ろくやの従業員は左利きのお客様を発見するのがものすごく早いです。些細なことですがこんなことでもお客様は「サービスがいい」と感動してくれるのです。
内藤:常にお客様を見ているのですね。
渡邉:インカムを導入するときに、他の宿の経営者は「旅館業なのにインカムはどうなの?」ということを言われましたが、私は何でもありの民宿からスタートしましたから別に気になりませんでした。実際、お客様もそんなに気になっていないようです。もしインカムを入れていなければ情報共有は今よりずっと難しいでしょうし、今のレベルを保つにはスタッフも1・5倍ほど必要になると思います。
内藤:料理はこだわっているようにも見えますし、割り切っているようにも感じます。
渡邉:スタッフと「ろくやってどんな宿?」と議論すると、「食のエンターテイメント」で来たから「エンターテイメント性を貫こう」ということで一致しました。料理は「ろくや」という全体の構成の中で、クセのようなもので、その他がしっかりとしていれば、そのクセがより引き立ち、「オンリーワン」になると考えています。
rokuzaを作るときも、全国の素晴らしい宿をたくさん見てきましたので、いい旅館にするのは、それほど難しくなくできると思いました。ただ、人にも、宿にも「愛されるクセ」というものがあります。「愛されるクセ付けをどこでするのか」という部分ですごく悩みました。ろくやの「愛されるクセ」は田舎臭さであったり、近所の顔見知りの居酒屋のようなイメージだと思います。 一方、「雰囲気のあるレストラン」をイメージしたrokuzaは「愛されるクセ」がなかなか思いつかなかったのですが、妻が以前、「旅館のデザートはいつも残念」と漏らした言葉を思い出し、パティシエを入れました。和食の料理人がデザートにこだわればこだわるほど若い女性には受けない。宿の愛されるクセはデザートで付けようということにしました。
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――じゃらんの評価でほぼ5点満点で、事前期待が高いことへの怖さはありますか。
渡邉:もちろん怖さはいつもありますが、仮に口コミでヘンなことを書かれたとしても、そのことによって多くのリピーターが逃げることはないと思っています。今やリピーターの売上げは5割強を占めています。
内藤:渡邉社長に感じるのは「徹底力」です。そして、すべての面でバランスよく「徹底」されています。サービスや数字の管理も徹底的にやられていますね。
渡邉:やる必要のないサービスは徹底してやりません。ろくやは客室まで案内せずに、1階のエレベーターでお客様に階数を告げています。今のスタイルで客室まで案内しなくても評価は変わらないという判断からです。
ピークの時間に人手がたくさん必要なのが旅館業。このピークを緩和させるために布団を早めに敷いたり、ステージベッドを導入したりと工夫しています。土曜日はプラスアルファの料金に設定しているため、スタッフをいくら入れても利益は出るのですが、平日はどれだけ人を減らすかが問題になります。夕食事には、「部屋の中に入って清掃してください」という表示の札をドアの前に出してもらっている客室だけに、ゴミ箱やトイレ、シーツをきれいにしているのですが、実は、なるべく清掃に入らないでいいようなニュアンスの言葉を選びました。こうすると、民宿であっても「夕食時に綺麗に部屋の清掃をやってくれる」という、いいイメージを残すことができるのです。土曜日に1部屋6人の場合は、清掃の人を雇えますが平日の2人利用で埋まった場合はそうはいきません。しかし、実際部屋の清掃を希望されるお客様は2―3組なので、十分対応できます。 数字は全従業員がその日の売上や仕入が見られるように、部署ごとにパソコンを置いて公開しています。7、8年分の予約状況を見ながら、たとえば「10月の第1週は1週間前からしか予約が入らない」といったこれまでのデータが指標になります。このため、1週間前まで空室があったとしても、広告に頼ったり、予約サイトに部屋を提供することなしに自館で対応できるのです。 従業員の責任者には、それぞの1人当たりの人件費と、その日の売上との人件費率を計算させ、シフトを考えさせています。板前にはコスト意識を植え付けさせるために仕入の1品1品をパソコンにデータ入力させています。売上に対する原価率が毎日出ますので、1カ月単位で原価率がオーバーすることは絶対に許しません。
光熱費削減も経営者が「節減しろ!」といくら言っても無理で、社員に数字をすべて公開し、経営に参加させることが大切です。「数字がわからないと、うちでは給料がいつまでも安いぞ!」と社員には言っています。数字がわからないかぎり、実際に何もできないと思うんです。
旅館と従業員の関係はWIN―WINの関係でなければ長続きしないので、やってくれた分に関してはしっかりと還元していくという考え方です。旅館業でありながら決算時ボーナスで120万円をもらっている社員が4、5人います。
内藤:旅館は月次の試算表ではなく、週次の試算表が必要だと思います。8月の決算を9月の中旬に出してそこから対策を考えると、10月になってしまう。今年の8月の課題は、10月には別の問題なので、翌年の指標としてしか活用できない。また、月次だと土日の数で大きく数値が変動してしまいますが、週次だとほとんど変わらない。今年の2月は最高益の企業が多いという。それは「うるう年」で通常よりも1日多いためであって、本当の実力とは違う要素が大きく影響してしまう弊害もあります。週次の試算表を出せると、月の上旬の課題に対して中旬、下旬でアクションを起こすことが可能になります。週次で試算表を管理できると、正確性が増し、後手ではなく、先手を打つために早めの経営判断が可能になります。これによって、本来やるべきことに集中ができるというメリットがあるのです。管理品質を上げる方法はいくらでもあるのです。最近は日次管理をする企業も増えてきています。
渡邉:後手後手に回ることが一番いけないですからね。旅館業は、その日の仕入と人経費をしっかりと抑えていれば利益が出るものと基本的な部分で認識しています。
内藤:約30%が人件費としたら、半分の15%が契約ベース。ここの流動性を30%上げると、5%の利益が出る計算になる。利益が出ないというのは現場が見えていないだけ。現場を科学的に見ていけば利益体質になるのですが、それをやるかやらないかの違いだと思います。
渡邉:そうですね。その部分ではまだまだ足りない部分がありますね。
内藤:渡邉社長が人件費率を従業員に公表し、管理させるというのは、幹部社員の評価のためではなく、現場の管理品質を上げることが目的になっていることがいいと思います。多くの旅館ではマネージャーがちゃんと管理しているかという評価のためにしがちですが、予算を達成できるようなシフトを組んだ人件費率が社員に理解されないと意味がない。そのためにすべてのデータを公開するということは素晴らしいと思いますね。
※ 詳細は本紙1480号または10月25日以降日経テレコン21でお読みいただけます。