test

No.462 風望天流太子の湯 山水荘、“働き方”を変えて単価アップへ

2017年6月1日
編集部

風望天流太子の湯 山水荘
“働き方”を変えて単価アップへ

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第13回は、福島県・土湯温泉「風望天流太子の湯 山水荘」の渡邉和裕社長が登場。いづみ専務(女将)、利生常務も出席して、働き方を変えるだけで単価を上げ、残業を減らしていく取り組みついて、内藤氏と語り合った。

【増田 剛】

 
 

〈「いい旅館にしよう!」プロジェクトⅡシリーズ(13)〉
風望天流太子の湯 山水荘

渡邉(社長):もともと渡邉家は土湯温泉の真ん中で「いますや旅館」を営業していました。1953年10月に、新たな宿「山水荘」を造りました。祖父には2人の息子がおり、長男(父)が山の方にある山水荘を経営し、温泉街のいますや旅館を身体が弱かった弟が継いだのです。しかし、翌54年2月の大火で土湯温泉全体が焼けてしまいました。幸い、山水荘は温泉街から少し離れていたため、焼けずに残されたのです。私は渡邉家の20代目で、山水荘は祖父、父を継いで3代目になります。

内藤:いますや旅館の規模はどのくらいでしたか。

渡邉(社長):20室ほどだと思います。山水荘を53年に建てたときは木造の9部屋でした。

内藤:その後、どのように部屋を増やしていかれたのですか。

渡邉(社長):大火の後、父は大火への反省から、60年に木造の建物をすべて壊し、鉄筋コンクリートに切り替えました。5年も経たないうちに部屋をどんどん増築し、これまで7回ほど設備投資しました。その間にプールを造ったり、護岸工事や橋を架けたりもしています。最後に増築したのは97年で、現在は71室です。

 面積は1万平方メートル以上ありますが、客室数は中規模旅館です。地形的に三方を崖に囲まれており、先代は庭に池を造ったり、ニワトリやハクビシン、クジャクを飼ったりしていました。私自身も建物と、池のある庭が自然なかたちで溶け合う、そのような空間がある旅館を理想としています。

内藤:3代目を引き継いだのはいつですか。

渡邉(社長):48歳のときです。

 23歳で土湯温泉に戻ったとき、若い人たちの集まりがありませんでした。そこで、飲食店や他の業種と連携して青年団のようなものを組織し、“まちづくり”を主体に動いてきました。旅館の経営も大事ですが、地域をどうするかということを第一に考えてきました。

 土湯の今の若い世代は、「若旦那カフェ」などに取り組んでいますが、私たちのころは、荒川の清掃活動や、ジャズフェスティバルを企画したり、毎晩お酒を飲みながら熱く語り合っていました。

内藤:土湯温泉のように、他業種を含めてまとまりがあるのは珍しいと思います。

渡邉(社長):当時、多くの温泉地では、旅館の経営者がワンマン化する傾向がみられ、なかなか地域ぐるみの取り組みができていませんでした。土湯は大型旅館もなく、小さい温泉地なので、あらゆる業種がまとまって一緒に取り組まないと生きていけないのですが、親の世代も同様の傾向がみられました。そういうのが嫌だったので、40代になったとき、観光協会や旅館組合のトップを若い世代が奪い取りました。いわゆる「下剋上」によって、自分たちの世代が中心となって土湯温泉を動かしていきました。…

 

※ 詳細は本紙1671号または6月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

いいね・フォローして最新記事をチェック

PAGE
TOP

旅行新聞ホームページ掲載の記事・写真などのコンテンツ、出版物等の著作物の無断転載を禁じます。