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「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(167)」海女文化が香る志摩地域(三重県鳥羽市・志摩市)

2018年12月16日(日) 配信

英虞湾の夕景(志摩観光ホテル)

日本を象徴する歴史・文化や伝統は、変化の激しい大都市よりも、地域にこそ色濃く残っている。そんな典型のひとつ、海女文化が未だ健在な三重県の鳥羽・志摩地域をひさびさに訪ねた。

 海女とは、言うまでもなく海に潜って貝類や海藻などを採取する漁をなりわいとする職業である。その歴史は古く、最古の記録は3世紀末の「魏志倭人伝」にあると言われる。また、「万葉集」や「延喜式」にも、志摩国や伊勢国のほかに、讃岐国、肥前国、筑紫国などで海人(女)の記述がみられる。 

 なかでも鳥羽及び志摩地域の海女は、伊勢神宮との関係性も含め、古来より継承されてきた。現在、その従事者数は約750人と全国でも群を抜いて多い。2017年3月には、その歴史的・文化的価値が認められ、「鳥羽・志摩の海女漁の技術」として国の重要無形民俗文化財に指定された。

 「技術」とは、女性の素潜り漁が継続されてきた歴史、漁場を識別する能力、伝統的漁具を継承し男女の役割分担を生み出す地域性、地域社会が、海女の存在を許容し海女を職業として認めている、古代から続く伊勢神宮と地域との関係といった部分に特色があるとして評価された(三重県教育委員会)。まさに、民俗としての知識、鍛えられた潜水技術、そして危険な海漁から生まれた信仰、採りすぎないという資源管理といった「技術」の集大成が海女文化なのである。

 海女たちの技術伝承においては、とりわけコミュニケーションを重視する拠点としての「海女小屋」が象徴的である。彼女たちは、ここに集い、休息を兼ねて漁に関する知識や情報を得ていた。また、セーマン、ドーマンといわれる当地特有の魔除けの印や「ツイヤ」と唱える呪いなど、その習俗もよく伝えられており、これらが海女文化を理解するうえで極めて重要である。

 海女小屋は、いつごろからか観光客向けに開放され、海女さんたちが焼いてくれる新鮮魚貝が、観光の大きな目玉になっている。今回の訪問では志摩市の海女小屋「さとうみ庵」と島羽市の海女小屋「はちまんかまど」を訪ねた。さとうみ庵には、海女小屋資料館が併設され、海女の歴史を学ぶことができる。「はちまんかまど」は、日本観光振興協会の18年度「産業観光まちづくり大賞」金賞を受賞した人気施設である。近年は訪日外国人客も多く、当日もイスラム圏からのお客様に備え、礼拝堂を設えていた。

海女小屋資料館(さとうみ庵)

 志摩市は、16年の伊勢志摩サミット(先進国首脳会議)の開催で、海外からの注目度が高い。筆者はかつて、この地域を政府が推奨する「長期家族旅行」のモデル地域として整備する計画に携わった。当時の竹内千尋市長が16年に再任され、10年ぶりの再会となった。国立公園に指定された伊勢志摩は、長期滞在には格好の地域である。いま再びのチャレンジを期待したい。

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