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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その36-田谷山瑜伽洞(神奈川県横浜市) 無言の説法が聞こえてくる ローソクの手燭台を持って入洞

2024年4月6日
編集部

2024年4月6日(土) 配信

 「私たちの歩みは、ちょっと速すぎるのではないか」。

 

 田谷の洞窟と呼ばれる霊場が神奈川県横浜市栄区、ちょうど戸塚と大船の間にある。うちの娘が藤沢の中高に通っていたので、あるとき起床が遅くなって学校まで車で送ったことがある。大渋滞していた国道1号線を避けて脇道に迷い込んだときに、この「田谷の洞窟」という看板を見つけ、ここはなんだろうとやけに気になった。

 

 

 12月の回で善通寺(香川県)を参詣した際、御影堂の地下通路をめぐる「戒壇めぐり」をした。真っ暗な中を南無大師遍照金剛と唱えながら左手を壁伝いに進み、その中央には大日如来像が安置されたところに辿り着くものであった。その経験をしたときに、ふっとこの田谷の洞窟の存在を思い出し、同じ真言宗だからと思い、改めて参拝しようと心に決めたのだった。

 

 田谷の洞窟は、正式名称を田谷山瑜伽洞と称する。瑜伽洞の瑜伽とは、ヨガだ。究極の悟りを開き、即身成仏に至るのが、密教におけるヨガの本質だ。もともとヨガは古代インドにおいて瞑想を主体とする静的な修行であったが、密教に伝播してからは、陰(月)と陽(太陽)との合一を目指し、宇宙との一体感を感じるという動的なものと変化した。この秘儀こそが密教の本質だという人もいる。

 

田谷の洞窟がある定泉寺本堂と弘法大師像

 

 田谷の洞窟の開創は鎌倉時代初期と伝わっている。ここは、弘法大師とともに全国一八八札所を巡拝するという霊場で、上下3段という不思議な構造を持つ。本尊弘法大師、四国、西国、坂東、秩父の各札所の本尊、両界曼荼羅、十八羅漢等、行者が壁面に刻んできた仏様たちが今も無言で説法を続けている。一般公開されている箇所以外にも洞窟は続いている。

 

 お参りに来られた近隣のご婦人とお話をしたのだが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも人気を博した和田義盛が和田合戦で敗北したときに、和田一族の中でもとくに勇猛果敢で知られる義盛の三男、和田(朝比奈)三郎義秀がこの洞窟に逃げのびたという言い伝えがあるそうだ。さらに、かつては鎌倉までこの地下道は続いていたが、地震などの天災と劣化でもう埋まってしまったという言い伝えがあるということも教えてくれた。

 

 朝比奈義秀の逃避行は、安房から川越へ逃げたとか、宮城県・大和町に逃げたとか、西国和歌山県・太地町に逃げ、捕鯨法を伝えたとか、興味がそそられる伝説が各所に残されている。また機を改めて、源義経の逃避行とともにここで取り上げてみたい。このことからも、史実に忠実であることよりも、地元の言い伝えに耳を傾け、想いを馳せることができるのが精神性の高い旅の醍醐味だ。

 

洞窟の入口。なお、洞窟内は撮影禁止なので、入ってみてのお楽しみ

 

 洞窟に入るには、まず入口でローソクを手燭台に立てることから始まる。その手燭台を持って入洞していくと、普通の生活をしているときの速さで歩いていたらローソクの炎はすぐ消えてしまう。この炎を消さないためには、意識的にゆっくりと歩かなければならない。そこで、冒頭に記した「私たちの歩みは、ちょっと速すぎるのではないか」との思いを感じることになる。ゆっくり歩くからこそ、この岩を手掘りで掘り、その上でノミで仏様や梵字を丁寧に彫ってきた歴代の名もなき行者たちの信仰心を痛いほどに感じる。

 

 途中まで歩みを進めると水の滴る音が聞こえてくる。ここに鎮座するのが土佐の一つ亀。これは土佐清水氏の金剛福寺に伝わる弘法大師を乗せた亀の言い伝えによる。洞内には音無川という川も流れていて、湿潤さを保っていることがこれだけ長期にわたって崩れなかった要因のようだ。

 

 お大師さまと同行二人を感じたいときにこそ訪れたい場所だ。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

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