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家康を癒したまち 「歴史」切り口に観光誘客(藤枝市・メディア視察会)

2023年12月27日
営業部:後藤 文昭

2023年12月27日 (水)配信

北村市長が「ふりかえ」を体験

 静岡県藤枝市は、生涯鷹狩りを愛した徳川家康が大御所時代、しばしば鷹狩りを楽しみに訪れていた場所。

 江戸時代には東海道の宿場町として賑わった場所でもある同市。市は11月23日(木・祝)、メディア視察会を行い、観光コンテンツ化を目指す「鷹狩り」の実演や、市内の歴史スポットを巡るメディア視察会を開き、魅力発信をはかった。

 家康を癒したまちが「歴史」を切り口に進める取り組みをまとめる。

◇   ◇

 1607年駿府城を改築し大御所政治を開始した徳川家康は、田中城周辺や志太平野一帯でしばしば「田中御鷹野」と呼ばれる鷹狩を行ったといわれており、徳川家の正史「徳川実紀」によればその回数は、亡くなる16年までの9年間で15回に及んだという。

 田中城址がある藤枝市ではこの史実を生かし、「鷹狩」の実演イベントを定期的に開催する計画を進めている。

 視察ツアー当日には、蓮華寺池公園野外音楽堂、芝生広場でNHK大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせ実演イベントが行われ、市内外から、午前の部650人、午後の部550人、計1200人が来場。駿府鷹狩協会による疑似餌を用いた鷹狩の作法の実演などを通じ、まちの歴史に触れた。また午前の部には、北村正平市長も訪れ、徳川家康に扮し、鷹匠間を飛行させる「ふりかえ」を体験した。

 鷹狩を愛した家康を癒したまち藤枝には、もう一つ、面白い逸話が残る。

 16年1月(諸説あり)、鷹狩のため田中城を訪れた家康は京の豪商茶屋四郎次郎の勧めで京で流行していた鯛の天ぷらを食し、あまりの美味しさに食べすぎ腹痛をおこしたと言われている。

家康御膳

 静鉄リテイリング(静岡県静岡市)は、こうした家康ゆかりの食材を使い、家康が食べていたと思われるメニューを現代風にアレンジし、歴史学者の小和田哲男静岡大学名誉教授の最終監修を受け商品化。「家康御膳」として、同社が運営する「玉露の里」で2024年3月まで提供している。

 「家康御膳」は、鯛の天ぷらや、家康が「折戸の茄子」を愛していたことをヒントにした「茄子の味噌田楽」、鷹狩りにちなんでの「鴨のロースト」などで構成。想定以上の売れ行きで、クラブツーリズムや名鉄観光は静岡市や浜松市の大河ドラマ館の見学と共に同御膳を楽しむツアーを催行しているという。

宿場町の歴史資産日本遺産として活用

 江戸時代、東海道の宿場町として栄えた藤枝。同街道は1601年、五街道のひとつとして、徳川家康の命で整備が開始された。

 2020年、静岡市と共同で申請した「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~」が日本遺産に認定され、共同で35の構成資産を生かしたコンテンツ造成を進めている。

 また藤枝市は、裏路地を高質化し、街道を巡れるようなハード整備を進め、周遊できる施策を展開していく考えも示している。

 視察ツアーでは、日本遺産構成文化財の「岡部宿大旅籠柏屋」と大慶寺の「久遠の松」を見学した。

久遠の松

 大慶寺は藤枝宿の本陣近く、宿場町の中心にあり、田中城の祈願寺として信仰を集めた名刹。鎌倉時代、京都、奈良での修行を終えた日蓮上人が旅の途中で立ち寄ったことが寺の起源と伝わる。

 日蓮上人お手植えの「久遠の松」は、樹齢770年と推定され、高い建物がなかった江戸時代には、藤枝宿の目印として、多くの旅人を導いたという。今後同寺では、境内に久遠の松を上から見ることもできる2階建ての1棟貸しの宿坊を開業させる予定。旅行者の受け入れと、県外に住む檀家と同寺をつなぐ施設とするという。

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