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「鉄道開業150周年を契機に~寄稿シリーズ⑥」 胖太子氏「窓を開け放ち憂さを晴らす台湾の鉄道」

2022年8月20日
編集部

2022年8月20日(土) 配信

普快車の車内

 日本の鉄道の歴史150年のうち40年ほどしか見ていない私だが、近年日本の鉄道を見ていて少し寂しいことがある。

 

 それは、窓を開け放ち風を切って走る列車が減ったことだ。もちろんエアコンが付き、窓を開けなくてもよくなったことや、高速で走る列車では安全対策の必要があることも理解している。

 

 昨今の情勢などから換気対策として完全に窓が開かないわけではないことも知っている。そのうえでなお、窓を全開にして外の風を感じる列車に揺られてみたいと思うのは、私の我がままだろうか。

 

 小学生のころ、夏休みになると、当時住んでいた神奈川の藤沢から千葉の船橋にある叔母の家まで、たびたび1人で冒険をした。そのころの横須賀・総武快速線は国鉄型の113系が使われており、ボックス席は2段窓になっていた。

 

 下段の窓を子供の力で押し上げるのはときどききつかったが、それを1人で押し上げて窓を開けたときの達成感は、大人の階段を一歩上がった感じがした。

 

 窓から感じる風には、駅ビルの何か美味しそうな匂い、トンネルの湿気と独特の匂いがした。地下から出るための坂を上がる錦糸町の手前では、風と共にモーターの唸り声が入ってきて、心の中で電車を励ました。

 

 窓を全開にして走る列車は五感で船橋までの小さな冒険を楽しませてくれた。

 

 私がよく足を運ぶ台湾でも、窓を全開にできる列車はかなり少ない。台湾高速鉄道(台湾新幹線)や、日本の特急に相当する自強號はもちろん、通勤電車や日本では見る機会がなくなった長距離の客車列車でさえも窓は全開にできない。

 

 そんななかで、冷房もなく、窓を開けっぱなしで台湾南部の南廻線を走る「普快車」と呼ばれる列車は貴重な存在だった。

 

 車両は数十年前に製造された、よく言えばレトロ、悪く言えばオンボロな車両だったが、窓を全開にして走る楽しさにあふれる車両だった。

 

 ヤシの木が続く海辺の道と、背後にある東シナ海、私の大好きな台湾マンゴーが育つ畑、先頭のディーゼル機関車から漂う煙の匂い、育ち盛りの青草の匂い、トンネルの中のひんやりとした空気、その先に見えた太平洋の青い海と少しごつごつとした海岸……。

 

 夏場列車が駅で止まると、自分がポークジャーキーになってしまうのではないかと思わされたが、そんなことも含め、南の異国・台湾を感じるのには最高の列車だった。

 

 ここまでの「だった」という表現でお分かりの通り、現在南廻線に普快車は走っていない。コロナ禍で台湾に渡航ができなかった2020年12月に南廻線が電化されたのと同時に、惜しまれながら普快車は廃止されてしまった。

 

 しかし、現地でも愛されていた列車だったことから、すぐにクルーズトレイン「解憂號」として復活した。穴の開いた歴史あるシートなどはさすがに補修されたそうだが、普快車時代と変わらず、今でも青い車体に冷房なし・扇風機のみ・窓を全開にして、南の鉄路を走っている。

 

 さまざまな制限がなくなり、海外との自由な往来が再開され、「解憂號」が名前の通り私の憂さを晴らしてくれる日もそう遠くないと信じたい。

          

【筆者】
胖太子(ばんたいず)氏
 観光関係の仕事で台湾を訪れるうちに、いつしか仕事を忘れて頻繁に台湾を訪れるようになった日本人。「季刊観光台湾」日本語版(㈶台湾観光協会発行)でコラム「台湾の光」を連載中。

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