2025年7月6日(日) 配信

「アンノン族」という言葉は、若い人々には既に「廃語」だろうか。1970年代に創刊された女性向け雑誌「an・an」や「non・no」は、美しいカラー写真の旅行特集を掲載。これに魅了され、雑誌片手に多数の若い女性が各地に押し掛けた。山口百恵の旧国鉄ディスカバージャパン「いい日旅立ち」(1978年)の時代である。
小京都と呼ばれた各地も、多くの女性たちで賑わった。その一つが山陰の小京都と呼ばれた津和野である。雑誌には、当地の美しい風景とともに、洒落たファッションに身を包んだ女性モデルがいた。その土地を訪れることで誌面と同化したいという気持ちもあったであろう。さながら、現在の「インスタ映え」にも通じている。
6月初旬、その津和野を訪ねた。重伝建地区の街並みは、昔のままの重厚で落ち着いた風情である。地域の方々が、この町の変わらぬ姿を保ち続けているのであろう。
しかし、その努力の反面で、津和野はいつの間にか古い観光地になっていた。「40年続く定型化された通過型観光モデル」を払拭できず、一時はホテル廃業や観光客の減少など大きな危機に直面していた。
この危機を払拭すべく、2015年に日本遺産「津和野今昔~百景図を歩く」という物語が認定された。「百景図」とは、津和野藩の茶室管理などもする 「御数寄屋番」という役職にあった栗本里治が藩内をくまなく巡り、名所・風俗・食文化などをスケッチし、約4年の歳月をかけて描いた百枚の絵のことである。
日本遺産第1号となって以降、行政が主導して、重伝建地区の入口に「日本遺産センター」を開設するなど、全国に先駆けたモデル的事業が高く評価された。しかし、これまで町並みの保全に力を入れてきた民間事業者たちの活動を必ずしも上手く取り込めず、活動は低迷していた。
そこに、Uターンして地元で茶業とB&Bを営む女性プロデューサーが起用された。百景図と津和野物語を素材に、食や泊の再生など、地域再生計画を描き、若者たちに働きかけながら、一つずつ事業の形にする地道な活動が始まった。

津和野百景図のシンボルの一つ、青葉山の麓の茶畑にデッキを設置し、風景とともに茶を愛でる事業、e―bikeで百景図の物語を巡るサイクルツーリズム、重伝建エリアの空き屋を活用した古民家ホテルやカフェの再生など、多くの事業が次々と動き出した。廃業していた旅館も観光庁補助金などを活用しながら、地域の拠点ホテルとして再生した。ホテルの料理には、百景図に因む食材が多用されている。このような津和野の計画と事業が評価され、昨年度は日本遺産の重点支援地域にも選ばれた。
地域再生は何よりも地域の方々の想いと一つ一つの活動の積み重ねが重要である。津和野が若者や家族たちの新たな聖地になることを期待したい。
(観光未来プランナー 丁野 朗)