【精神性の高い旅 ~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その2- 源頼朝の二所詣(1)箱根神社(神奈川県・箱根町) 清々しい神水が湧き出る 心身ともに祓われる場所

2021年6月1日(火) 配信

 
 2022年のNHK大河ドラマの舞台は鎌倉時代、第2代執権北条義時が主人公だそうだ。日本人は「判官びいき」なので、源頼朝よりも源義経の方が人気があり、義経の悲劇性からも、頼朝は実の弟も斬り捨てる冷酷非情な人物との印象が強い。

 
 一方で、頼朝ゆかりの地を訪問してみると、実は情に篤い人間であるという伝説が残っているところが多いことに気づく。来年の大河ドラマでは、三谷幸喜氏の脚本でどのような頼朝像が描かれるのか、楽しみである。

 
 頼朝は1180年に伊豆で平氏打倒の兵を挙げたものの、石橋山における初戦で壊滅的な敗北を喫し、真鶴から安房に逃れたのち、態勢を整えて再度平氏に対して挑み、勝利を収めた。

 
 その後、鎌倉幕府を開いた頼朝は、自身が不遇の身であったときに大変お世話になった箱根権現(現在の箱根神社)と伊豆山権現(走湯大権現ともいう、現在の伊豆山神社)を関東の鎮護神として篤く崇敬し、この2カ所を巡拝する「二所詣」を実施した。

 
 

 二所を連続して参詣するというのは大変縁起がいいこととされ、伊勢神宮も内宮と外宮を総称して二所大神宮と言うのもこの風習からである。ちなみに、二所ノ関部屋という相撲部屋があるが、これは旧奥州街道の関東と奥州の境を挟んで住吉神社と玉津島神社二所がセットで「境の明神」と呼ばれており、そこを通っていた南部藩お抱えの力士がこの場所にちなんで「二所ノ関」を名乗り、それが部屋の名前として現代に伝わっている。

 
 頼朝は、箱根権現、伊豆山権現に加え、軟禁状態に置かれていた伊豆滞在時代に崇敬していた三嶋社(現在の三嶋大社)も含めて「二所詣」として新年の恒例行事として毎年参詣した。

 
 頼朝は石橋山の合戦で敗れ、わずか7人の手勢で逃避行を続けていくなかで、箱根権現の僧侶である行実と永実によって匿われ、命拾いをしたことから、生涯その恩を忘れることはなかった。 

 
 「権現」とは、そもそも神道の八百万の神々は実は仏教のさまざまな仏が仮の姿として日本の地に現れたものとする考え方で、それゆえに、箱根権現に僧侶が住んでいるのである。まさに神仏習合である。この体制が明治初期の廃仏毀釈運動が起こるまで継続されていた。

 

芦ノ湖に面した地に鎮座する九頭龍神社本宮の鳥居。海賊船からも見える

 頼朝がどのような想いで箱根権現を参詣していたのかを想像しながら現在の箱根神社を訪ねた。精神性の高い旅は、想像力を最大限に高めながら歩くのだ。

 
 まず感じるのは、清らかさだ。水が境内のそこかしこにこんこんと流れている。箱根山を源として湧き出てくる清冽な水だけでなく、温泉も湧いている。箱根神社は、757年に萬巻上人が村人を苦しめていた芦ノ湖に棲む9頭の龍を調伏し、龍神として鎮斎したことにその起源を見ることができることから、手水舎も9つの龍の頭から神水が流れ出ており、これで身を清めてから参拝することになる。

 

9つの龍の頭から神水がいただける手水舎

 箱根神社と芦ノ湖の湖尻のちょうど中間あたりに、九頭龍神社の本宮が鎮座している。芦ノ湖の遊覧船からその鳥居を見ることができるが、箱根神社を参拝したら、ぜひ歩いて九頭龍神社の本宮にも足を伸ばしてみてはいかがだろうか。その道中、車が通らない遊歩道を歩いて行くのだが、しいんとしたなか、だんだん湖面に浮かぶ鳥居が近づいてくるのが清々しい。九頭龍神社本宮の手前に、小さいけれど、白い鳥居が印象的な白龍神社も鎮座する。白龍神社を参拝すると、神社というものは、本殿や鳥居の大きさに圧倒されて、その勢いに押されて信仰心が生まれてくるのは本質的な信仰心ではないことが理解できる。

 
 ここには異心を祓う清々しい何かがあると訪れるたびに実感させられる。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授、日本国際観光学会会長。「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

 

「観光革命」地球規模の構造的変化(235) ワクチン接種と東京五輪

2021年6月1日(火) 配信

 東京五輪が目の前に迫ってきたが、現実には政府による3度にわたる緊急事態宣言の発令にも関わらず、新型コロナウイルス感染拡大に収束の兆しはまったく見えない。菅政権は「安全で安心な大会を開催できる」と繰り返し表明しているが、各種メディアによる世論調査では「東京五輪の中止・延期」が多数を占めている。

 欧米のメディアは、東京五輪が「一大感染イベント」になりかねないという論調を強めており、米紙ニューヨーク・タイムズは東京五輪について「危険なまやかしを止めるときだ」という寄稿を掲載している。欧米メディアは日本におけるワクチン接種の極端な遅れを問題視している。5月中旬の時点での日本のワクチン接種率(1回接種を含む)は約3%に留まり、発展途上国レベルの世界110位前後に低迷。米国のワクチン接種率は約46%であり、接種率約53%の英国では5月中旬から飲食店の屋内営業を再開し、6月には大半の規制を解く予定と言われている。

 そういう状況の中で、5月24日に大きな変化が生じた。先ず米国のCDC(疫病予防管理センター)は、日本の感染状況について最高レベルの「極めて高い」と認定し、「ワクチン接種を終えた人でも変異株に感染し、感染を広めるリスクがある」と勧告した。これを踏まえ、米国国務省は日本への渡航警戒を最高位のレベル4「渡航中止・退避勧告」に引き上げた。また同日に開催されたWHO(世界保健機関)の年次総会で国連のグテーレス事務総長は「世界は新型コロナウイルスとの戦争状態にある。コロナ対策の必要な武器(ワクチン)の不公平な分配に対して戦時体制の論理で対処が必要」と演説した。

 グテーレス事務総長は富裕国10カ国に75%のワクチンが集中している事態を批判したものであるが、日本の一部の識者は「戦時体制」という発言に注目して「参加者の安全が深刻に脅かされている場合(戦時)にはIOCに対して五輪開催の返上が可能であり、賠償金の支払いは不要」と主張している。

 いずれにしてもワクチン接種に全力を投入し、医療体制の万全を期すことで、早く平穏な日常生活を回復させることが政府に課せられた至上命題であり、安心して旅行に出掛けることのできる日々の到来を祈念している。

石森秀三氏

北海道博物館長 石森 秀三 氏

1945年生まれ。北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授、北海道博物館長、北洋銀行地域産業支援部顧問。観光文明学、文化人類学専攻。政府の観光立国懇談会委員、アイヌ政策推進会議委員などを歴任。編著書に『観光の二〇世紀』『エコツーリズムを学ぶ人のために』『観光創造学へのチャレンジ』など。

 

 

別府温泉 杉乃井ホテル 新棟「虹館」7月開業 ツイン中心5タイプ155室

2021年6月1日(火) 配信

新宿泊棟「虹館」

 大分県別府市の「別府温泉 杉乃井ホテル」は、新しい宿泊棟を7月1日に開業する。

 「虹館(にじかん)」と名付けられた新棟は、ホテル敷地内にある屋内プール「アクアビート」に隣接し、地上8階建てとなる。

 ツインルームを中心に、ホテル初となるメゾネットタイプのロフトルームや、2段ベッドなどを配したファミリールームなど、全5タイプ全155室を備える。

 ツインルームはテーブルやイスなどを壁面収納にし、快適なスペースを確保した。安心して小さな子供の添い寝ができるよう、ベッドは1600㍉と1400㍉幅のものを配した。

 ロフトルームやファミリールームは、家族・グループ利用に最適。室内は間接照明で雰囲気を高める一方、カラフルなインテリアを取り入れるなど、カジュアルでわくわくするような空間演出を施した。

ロフトルーム

 1階ロビーラウンジには、非接触型の自動チェックイン機を設けた。エントランス近くには、宿泊客は無料で利用できるロッカーを設置し、チェックイン前に、アクアビートや大展望露天風呂「棚湯」を利用する際の利便性を高める。

 虹館の宿泊料金は2人1室で1人1万5千円から(夕・朝食付き)。食事は人気のバイキングレストラン「シーダパレス」となる。

 虹館オープンに合わせ、ホテルロゴマークを刷新。「乃」のフォントに温泉の湯気を感じさせる「ゆらぎのモチーフ」を加えるなど、シンプルで上品なロゴになった。

 同ホテルは2025年の工事全面完了を目指し、大規模リニューアルを実施中。虹館とは別に、もう1棟の客室棟や立体駐車場を新設するほか、既存の「Hana館」も建て替える予定だ。

NAA、2004年の民営化後初めて赤字 営業収益は約7割減に

2021年5月31日(月) 配信

営業損失は約575億円。新滑走路建設のため次期も赤字を見込む

 成田国際空港(NAA、田村明比古社長)がこのほど発表した2020年度連結決算(20年4~21年3月)によると、営業収益は同69・7%減の718億800万円と2期連続の減収で、04年の民営化以降、最低となった。新型コロナウイルスの拡大による各国の出入国制限や、国内の移動自粛要請などが影響した。

 運用の効率化をはかり、最大限のコスト削減に努めたが、営業損失は575億2300万円(前期407億6700万円の利益)、経常損失は573億3800万円(同391億4600万円の利益)、当期純損失は714億5300万円(同244億2300万円の利益)といずれも民営化後初の赤字となった。

 次期連結業績予想は営業収益が前期比11・4%増の800億円と3期ぶりの増収を見込むが、営業損失620億円、経常損失660億円、当期純利益は670億円と予想する。

 同社は日本国民の多くがワクチンの接種を終えた今秋以降に、国内線から国際線の順に需要が増加すると予測。「本格的な回復は22年度になる」とみる。

 業績予想は最悪の状況を想定しており、今後上向く可能性を踏まえて算定している。

 田村社長は営業損失と経常損失の予想を今期よりも悪化させたことについて、「(NAAは)利用者が収束後、コロナ前より増えると見越している。29年度までに3本目の滑走路を建設しなければならない」と述べた。

 また、東京オリンピックの収益については、海外観客を受け入れないことから「売上への貢献はわずかだろう」との見通しを示した。

ツアーコンダクター派遣会社「ダイヤモンドシステム」 旅のユニバーサルデザインアドバイザー資格受講、スタッフ5人が取得

2021年5月31日(月) 配信

旅のユニバーサルデザインアドバイザー認定状

 ツアーコンダクター派遣会社のダイヤモンドシステム(石井光彦社長、東京都港区)は5月19日(水)、ケアフィット推進機構が認定する「旅のユニバーサルデザインアドバイザー」に同社スタッフが受講し、5人が資格を取得した。

 同資格は、高齢者や障害のある方への理解を深め、ユニバーサルデザイン(UD)と旅の関連性や、接遇を学ぶことを目的としている。

 「専門的なノウハウがない」「社員教育が難しい」など、観光関連産業全体にUDの知識が不足しているなか、基本理念や基礎知識、障害の社会モデルなどの座学に加え、簡単な手話、白内障体験、車イス操作などの実技講習を受講。その後、筆記試験を行う。

 自らも旅程管理主任者(ツアーコンダクター)の資格を持つ、神奈川大学国際日本学部の島川崇教授は「コロナ後の旅行ビジネスの再構築のため、人が介在する強みを持った観光関連事業者が福祉観光市場の開拓に力を入れることは当然の流れ」との見方を示す。そのうえで、これらの原動力となる「現場のツアーコンダクターが『旅のユニバーサルデザインアドバイザー』資格を取得することは、とても有意義なこと」と語る。

 今回受講したダイヤモンドシステムは、日本添乗サービス協会(TCSA)に加盟し、250人以上の登録添乗員を有する。受講者からは「日々の生活の視野を広げ、旅行や接客に役立てていきたい」、「より一層お客様の気持ちに寄り添う添乗業務を心掛けていく」などの感想があった。

 同社は「福祉観光は間違いなくこれから取り組まなければならないマーケットになる」と捉えており、「今後もさらに有資格者を増やし、ノウハウを集約して社の力としたい」考えだ。

NAA 4月、旅客数151%増の35万人 異動などで商業需要回復

2021年5月31日(月) 配信

田村明比古社長

 成田国際空港(NAA、田村明比古社長)が5月27日(木)に発表した2021年4月の総発着回数は、前年同月比50%増の1万907回、航空旅客数は同151%増の35万3641人だった。初めて発出された20年同月の緊急事態宣言時から、駐在員の人事異動など商業需要が増加した。

 一方、コロナ前との比較では総発着回数が19年同月比50%減、総旅客数が同90%減と低水準が続いている。

 国際線旅客便の発着回数は前年同月比58%増の3553回。旅客数は同65%増の11万5131人だった。国内線旅客便の発着回数は同77%増の2318回。旅客数は235%増の23万8510人となった。

 一方、国際線貨物便の発着回数は同67%増の4706回で、貨物量は同27%増の21万7309㌧と過去最高だった。とくにプラスチック製品や自動車部品、果物などが好調。

 旅客便の減便で運べる貨物量が減り、貨物臨時便が多数運航された。このほか、コロナ禍での通販需要の拡大で海上貨物コンテナが不足していることも影響した。

 同日に発表された5月1(土)~22日(土)までの国内線発着回数は前年同期比380・5%増の1522回だった。

 田村社長は「緊急事態宣言が続くため、5月の発着・旅客数は少なくなるだろう」と予測した。

山代温泉 5月10日を記念日に 五十音図・あいうえおの日

2021年5月31日(月) 配信

授与式には萬谷正幸会長(左から2人目)のほか宮元陸加賀市長(左端)らも出席した

 石川県加賀市の山代温泉観光協会(萬谷正幸会長)が申請していた、5月10日に設定した「五十音図・あいうえおの日」がこのほど、日本記念日協会により新たな記念日として認められた。5月7日には同温泉のたちばな四季亭で記念日登録証の授与式が開かれた。

 山代温泉では、温泉街にある薬王院温泉寺の中興の祖である明覚(みょうかく)上人が、現在の日本語の五十音図の基礎を考案した人物とされることから、五十音図発祥の地を掲げ、「あいうえおの郷」として新たなまちづくりに取り組んでいる。

 明覚上人は平安後期の僧で、インドの言葉を研究する学問「悉曇学(しったんがく)」の第1人者だった人物。薬王院温泉寺の住職を勤めていた1093(寛治7)年に著した「反音作法」のなかで、現在の五十音図につながる内容の記述をしており、薬王院温泉寺の山門前には今年春、その記述部分を複製したオブジェも設置されている。

 また、2018年からは、同市とともに「今年のにほんごコンテスト」を開くなど、「にほんご」や「あいうえお」に関わる文化的な事業活動にも取り組んでいる。

 今回の記念日登録は、これらの活動を広く知ってもらうとともに、日本語の素晴らしさを再認識してもらうきっかけづくりとして企画した。5月10日は、「五十音図」の「五」と「十」を当てはめたもの。10日は、明覚上人の月命日でもある。

 萬谷会長は、登録を受け「五十音図・あいうえお発祥の地をもっと発信していきたい」と意気込みを述べた。

 なお、毎年2月15日に発表していた「今年のにほんごコンテスト」は、来年から5月10日に変更して実施される。

〈観光最前線〉高知の未来観光スタート

2021年5月31日(月) 配信

Instagramライブのようす

 高知県は5月12日、観光キャンペーン「リョーマの休日」の新プロジェクトとして、ボディシェアリングロボット「NIN_NIN(ニンニン)」を使った観光地を巡る動画をインスタグラムでライブ配信した。

 「NIN_NIN」は、テクノロジーの力で身体の機能をシェアするロボット。カメラやマイクなどが搭載され、それを付けたガイド役が観光地を歩くことで、映像をウェブ上で共有し、会話しているような音声コミュニケーションができる。

 インスタ配信では、肩にロボットを乗せたガイド役が仁淀川などを散策。公募した1人が「NIN_NIN」とつながり、そのようすを約100人が鑑賞した。6月以降、「あなたの、分身! NIN_NIN観光」も実施する予定だ。

【土橋 孝秀】

〈旬刊旅行新聞6月1日号コラム〉東京五輪の行方 持続可能な観光と上手く結びつかない

2021年5月31日(月) 配信

 

 スペイン風邪が猛威を振るった100年前の1920年8月、オリンピック第7回アントワープ大会が開催された。第1次世界大戦の傷跡も生々しく残るなか、パンデミックと世界大戦の2つの大惨事を乗り越える「平和と復興を讃える祝祭」として記憶されている。だが、実情はスタジアムの観客はわずかで、空席が目立ち、地元ベルギー国民の関心もあまり高くなかったという記録も残っている。

 

 
 過去の五輪で中止となった大会は、夏冬合わせて5回ある。最初の中止は、第1次世界大戦によりヨーロッパ中が戦火に包まれた、1916年のベルリン大会だ。その2年後の18―20年にかけて、スペイン風邪が世界的に流行した。死者数は5千万人~1億人を超えるとも推測されている。そのような状況でアントワープ大会は開催された。

 
 それまでオリンピックの参加・開催国は欧米が中心だった。1940年、アジアで初めてとなる東京大会が開催されるはずだったが、日中戦争により38年に返上し、「幻の東京五輪」となった。当時は夏季と冬季の五輪は同年開催。40年冬季札幌大会も同じ理由で中止となった。

 
 44年に予定していた夏のロンドン大会、冬のコルティーナ・ダンぺッツォ(イタリア)大会も第2次世界大戦のため中止となった。戦争を理由に、夏冬2大会連続の中止である。終戦後の48年にロンドン大会が開かれたが、日本とドイツは戦争責任を問われて参加できなかった。

 
 その後、64(昭和39)年に、戦後からの復興と、高度経済成長の姿を内外に発信する、東京大会が開催されることになる。

 

 
 今回の東京五輪はこのまま中止されなければ、2021年7月23日に開幕する予定だ。五輪の中止は先述の通り5回あったが、延期は初めてで、「TOKYO2020」という名称を引き継ぐ。これは何となく、しっくりとこない。また、100年前のアントワープ大会と状況が似ていると言われているが、当時の五輪と現在では、規模が違い過ぎる。アントワープ大会は、当時としては史上最多ではあるが29カ国の参加である。

 
 開幕まで2カ月を切った現時点でも、開催するのか、観客を入れるのか、中止にするのか判断がつかない状況だ。最近の世論調査では、「開催すべき」派は少数で、「中止すべき」が多数派という結果が出ている。どちらにしても「デメリットが大き過ぎる」究極の選択の様相だ。新型コロナウイルスの感染防止対策で政府や首長の判断が鈍り、不信感が増し、国民も分断した要因の1つに、五輪があったのは間違いない。

 

 
 巨大な利権が絡み、政治色とお金の匂いがプンプンする五輪を、1都市がリスクを含めて背負い込むスタイルは、もはや限界にきている。また、観光と五輪の関係も、持続可能なツーリズムの観点から見ると、あまりに弊害が大きく、上手く結びつかないことが明白になった。

 
 来年2月に中国・北京で冬季五輪が予定されているが、既に政治的な駆け引きが熱い。 

 
 近代五輪の第1回大会は1896年にギリシャのアテネで開催され、冬季は第1回大会が1924年にフランスのシャモニー・モンブランで行われた。原点に返り、夏季はアテネ、冬季はシャモニー・モンブランで固定した方が競技者も集中できるはず。利権にしがみ付く五輪が不幸の火種を生む現実を変えたい。

 

(編集長・増田 剛)

 

【特集No.582】昼神グランドホテル天心 5年ごとに計画的な設備投資を

2021年5月31日(月) 配信

 

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その人気の秘訣を探っていく対談シリーズ「いい旅館にしよう! Ⅲ」の8回目は、長野県・昼神温泉の「昼神グランドホテル天心」社長の今井竜也氏が登場。5年ごとの計画的な設備投資によって、時代に沿った旅館であり続ける考え方や、ハードだけでなく、オペレーションも変えていく設備投資のあり方を探った。

【増田 剛】

 今井:長野県・阿智村は近年、「日本一の星空」で有名になりました。昼神温泉は1973(昭和48)年に旧国鉄の飯田―中津川線新設に伴うボーリング調査中に私有地から温泉が湧出し、村が温泉権を取得して「健全保養型温泉地」の形成を目指しました。
 江戸時代の書物「信州伊奈郡郷村鏡」には、昼神に温泉があった記録があります。湯屋権現社が祀られていたり、「薬師」の地名もあったり、既に温泉が存在していたことが推察されます。
 73年から10年間で温泉宿は16軒(1600人収容)となり、20年間で26軒(3500人収容)へと拡大していきました。現在は若干減って19軒(3100人収容)となっています。

 内藤:どのような方が昼神温泉で宿を始められたのですか。

 今井:地元の人が旅館を始め、その後、村営の保養センターも作られました。また、当社もそうですが、地元企業が土地を買い、温泉権を村から得て、規模の大きい旅館を開いていきました。

 内藤:団体客を受け入れる大型観光旅館ということですか。

 今井:そうですね。㏗9・7の単純泉で、温泉の質が良く、旅行ブームによって隆盛してきた時期でした。80年ごろから地元有志による「朝市」が行われ、今では昼神温泉の名物となっています。
 2005年には阿智村と、旅館なども出資して「株式会社昼神観光局」が設立されました。18年には阿智村観光協会と合併して「阿智・昼神観光局」として、バスや物販、地域ブランド確立事業などを展開しています。
 団体客が減少し、個人客へと移行する12年に「日本一の星空阿智スタービレッジ事業」がスタートしました。初年度は6千人台だったお客様が旅行会社の協力もあり、近年は16万人の集客があります。

 ――それでは昼神グランドホテル天心の歴史を教えてください。

 今井:当館は1980年3月にオープンしました。隣接する飯田市の吉川建設がオーナー企業です。
 オープン時は収容240人ほどで昼神温泉では最大規模でした。当初は皆で布団敷きや片付け、洗い物をする素人集団の運営でしたが、次第に中京、関西エリア、そして関東からも宿泊客に来ていただくようになりました。
 1997年に新棟「天の館」をオープンしたのが転機となりました。38室から77室に増え、収容は2倍の480人に拡大しました。
 当時、私も支配人として出向していました。建設会社の子会社という関係から、「設備投資のタイミング」などの難しい問題がありましたが、周りの旅館が次から次に新設され、大型化するなかで、先代の社長(親会社の会長)が「どうせ設備投資をするなら、旅館の建物が建設会社の広告塔となるような良いものを造る」との方向で舵を切りました。
 バブル崩壊後の投資でしたので、坪単価も3分の2まで下がっていました。このため、当初計画の3分の2の売上で経営できる状況で、ハードルが少し下がりました。

 内藤:社長に就任したのはいつですか。

 今井:99年で45歳のときです。04年にも全面改築をしています。
 親会社が建設業と業種が異なるため、とにかく数字で示していくしかない。社長就任2年目から20年間、12カ月営業は黒字計上を維持しています。旅館経営で親会社から単年度ごとに黒字を求められるのは、結果として良かったと思っています。

 内藤:今井社長は計画的に投資サイクルを決めて実行されています。

 今井:ある勉強会で世界的なマーケティング学者フィリップ・コトラー教授の「もし、これからの5年間、現行のビジネスモデルに固執するのならば、その企業の生存は危うい」という言葉に出会いました。
 それまで設備投資について「どれくらいのスパン(期間)でやればいいか」、「どのくらいの金額をかければいいか」の判断に困っていましたが、コトラー氏の説を基に、「5年に1度ずつ何らかの手を加えていけば、時代に沿って変わっていける」と思いました。
 ただ、あくまでも当社は子会社という立場であり、建物は年々減価償却していくなかで、新たな設備投資の条件として「借金の総額が減っていくこと」という制約がありました。
 そこで「5年間で返済した額の半分を設備投資に回す」という方針を決めました。これを続けていくと、借金全体が減っていきます。……

【全文は、本紙1832号または6月7日(月)以降、日経テレコン21でお読みいただけます】