2025年8月6日(水 ) 配信
90年前の豊田自動織機の機械が稼働する若柳千織
宮城県栗原市は、もう20年以上にわたる長いおつきあいになった。出会いは、2004年に環境事業団(当時)とともに、旧鶯沢町にある鉛鉱山・細倉鉱山を視察したのがきっかけである。これがご縁で07年には経済産業省「近代化産業遺産群33」の認定などでたびたび通うようになった。
いまは廃線となった栗原電鉄(1921年創業、くりでん)は、その後細倉鉱山まで延伸し、ここで産出した鉱石を運び、戦後は地域の重要な足として親しまれてきたが、その保全と活用の事業などにも関わらせていただいた。
岩手・宮城内陸地震(2008年)で土石流に巻き込まれて亡くなった故麦屋弥生さんとは、財団JTB時代から親しかったが、細倉鉱山やくりでんの調査を通じて栗原でも一緒に仕事するようになった。彼女は主に農村エリアや周辺の街並みに深く魅了され、「田園観光」のキーワードのもとに栗原の観光まちづくりに深く関わるようになっていた。
田園観光は英国エベネザー・ハワードの田園都市(Garden city)由来である。栗原は、地域のシンボルでもある栗駒山麓(日本ジオパーク)から流れ出る3つの河川(迫、二迫、三迫)がラムサール条約の登録地で、伊豆沼と内沼に流れ込むダイナミックな地形。低地には里山が連なり、周辺には広大な田園地帯と農家群が広がっている。北風を防ぐ農家の防風林(いぐね)、田んぼには稲わらに風を通す独特のねじりがはいった「ねじりほんにょ」、500棟を優に超えると言われる長屋門などの景観がこの地域固有となっている。
栗原ツーリズムネットワークが入る長屋門住宅
ちなみに、長屋門が多く集積する文字は、結界を意味する「門司」とも関連し、外敵からの防御の意味も持っていたそうである。
栗原は2005年に旧10カ町村が合併してできた市。旧町村は城下町や鉱山町など、それぞれのカラーがあるが、「田園」は共通の景観である。農業が盛んな集落には、90年前の豊田自動織機の機械が残る木綿の地織(若柳地織)や日本最古の染織技法と言われる「正藍冷染」、畳工房、能楽堂や能面師の工房など、歴史を感じさせるさまざまな「生業」も盛んである。
7月初旬、新たな体制のもとに栗原市観光戦略会議が開催され参加した。新しい会議の座長には、栗原市の実質的なDMOともいうべき(一社)くりはらツーリズムネットワークの大場寿樹代表が就任した。
元市職員であり、自ら飛び出して地域づくりの事業を担う若手である。地域に残る古い長屋門の改修・活用や、多様な生業の再生創造、農村や丘陵地帯を舞台としたエコやアドベンチャーをテーマとしたツーリズム事業の開発なども手掛けている。
地域の持続性や継承は、これを担う優れた人材の存在に尽きる。地域の担い手を見出し大切に育てていくことこそが、観光まちづくりの基本である。
(観光未来プランナー 丁野 朗)