2016年10月1日(土) 配信

高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第6回は、長野県松本市・扉温泉の明神館会長の齊藤茂行氏が登場。周辺の温泉旅館が大型化するなかで、「売上を伸ばしながら利益を確保するのが経営」との信念で、時代のニーズに合った施設づくりを続けてきた明神館の取り組みを語り合った。
【増田 剛】
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齊藤:大正のころですが、私の祖父が入山辺村の村長だった時代に、農繁期が終われば温泉でゆったりとできる村営の宿泊施設を建てました。しかし赤字経営が続いたため、1931(昭和6)年に祖父が責任を取るかたちで、会社を作り、宿泊施設を買い取ったのが始まりです。その後、父の妹(叔母)たちが学校に通いながら、自炊湯治宿として切り盛りしていましたが、戦後になって父が経営を担いました。
内藤:齊藤会長が宿に戻られたのはいつですか。
齊藤:東京の大学を卒業した1970年ごろで、当時の宿は襖で仕切られた鍵のない部屋が11部屋ありました。
私は父を説得し、1億5千万円を投資して手前の敷地に、新たに8部屋の宿を造りました。高度経済成長期のころで景気も良かったのですが、その後オイルショックが来ました。宿を新築したのは、第1次と第2次オイルショックの狭間でした。
このため私は、営業に出て、名古屋、関西、東京の旅行会社を回りました。当時、冬期の閑散期対策として、京都の旅行会社に1泊3500円のバスプランを提案すると、この企画が大ヒットしました。宿の周辺から山菜やキノコなどを採って来て、天ぷらにして提供すると、京都から訪れたお客様は喜んでくれました。原価は1割以下でしたね。翌年には他社からも「5千円で受け入れてくれないか」といったオファーがあり、あっという間に1泊1万円まで上がっていきました。
当館には作家や学者の方々も逗留されており、さまざまなメディアに発信されたことも、大きな宣伝になり、幸運だった部分もありました。料理は東京や京都で提供される食材ではなく、地元の山菜やコイ、イワナなどを使っていました。ある文化人の先生は、当館の家庭料理の延長線上にある「おふくろの料理」を美味しいと書いてくれました。のちに板前を入れましたが、「明神館は料理が美味しい」というイメージの浸透につながっていきました。また、女性誌などに当館が掲載されると、若い女性が多く訪れました。
内藤:高度成長からオイルショックを経験し、その後バブル期を迎えますが、多くの宿は大型化に向かいました。この流れに対してどのような姿勢でしたか。
齊藤:近隣の浅間温泉や美ヶ原温泉では、次から次に近代的な大型旅館が建ち始めていました。私も宿を大きくしようと考えた時期もありましたが、経営にとても慎重だった父は宿の新築に反対で、私と父は考え方がずっと対立していました。ですから、次に増築をするのに7年ほどかかりました。その後も5年ごとに現在まで計7回増改築を繰り返しています。
そのなかで2万円の客室を新たにつくると、これまで1万円に設定していた客室も、少し改装するだけで1万5千円の料金でも来てくれるようになりました。
宿に続く細い山道は、冬は雪崩が起こると商売ができません。雪かきなども大変でした。冬場はつらかったですが、5月の連休後から11月まではコンスタントにお客様が来てくださるように、さまざまな努力をしました。
内藤:周辺の温泉地の旅館が大型化するなかで、小規模のままの明神館はどのように見られていたのですか。
齊藤:周りの経営者からは「よくぞあんな小さな明神館に多くの宿泊客が訪れるね」と感心されていました。
商売というのは、利益を出すことが最も大事です。いくら大型旅館を建てても、「経営者がきちんと報酬を得なければ、経営とはいえない」というのが、若い時からの私の持論です。
私たちはお客様を喜ばせることによって利益を得る商売をしています。お客様を喜ばせるためには、利益や報酬を得ることが大事で、宿を大きくすることが最優先ではありません。大型化よりも、むしろ高級化することで利幅を大きくし、「売上を伸ばしながら利益を確保するのが経営」という信念でやってきました。
そのためには、リピーターを作ることが大切です。どうしてお客様が当館に来てくださるのか、そこを考えなければなりません。単なる偶然でお客様が来るのではなく、アクセルを踏めば前に進み、ブレーキを踏めば止まる自動車のように、「こういう客室を、この金額で提供すると、このような客層に支持される」といったような具体的な想定を細かに考えながら商売をやってきました。また、息子(齊藤忠政・現社長)の経営判断で、松本城に面した松本丸の内ホテルを買収し、レストラン「ヒカリヤ」や「懐石花とびら」などを開業しました。そのほか、新浅間温泉にある20室ほどのホテルを改装して、社員寮にしました。
内藤:無理に大型化せずに、その時代に合った設備投資を徐々にやっていくなかで、お客のニーズの変化に対応できていったということですか。
齊藤:そうですね。数寄屋造りなど、その時代に合った施設をつくっていきました。マントルピースを備えたリゾート風の客室もありますが、最近畳とベッドの部屋に改装しました。時代によってお客様が宿に求めるものが変わっていきます。一度に大規模なものを造ってしまうと、装置産業の場合、動きが取れなくなります。今は高齢者のお客様が多いので、ベッドのある客室から先に予約が入っていきますので、ベッドルームを増やしています。連泊される場合でも、畳では横になりづらいですが、ベッドならゆっくりと休めます。
70代にもなると夜中布団から起き上がって暗闇の中でトイレに行くのも大変です。また、一度部屋を明るくすると眠れなくなってしまうこともあります。このため、お客様が照明を調節できるように、客室に照明のコントローラーを付けました。
料理も同じように、時代とともにニーズが変わっていきます。高度成長の時代は宿に「京料理」が求められていたので、京都から料理人を迎え入れました。今の時代は地産地消にこだわり、「この地で採れたものですよ」と説明しながらのメニューの方が喜ばれます。
グループ会社が経営する静岡県伊豆・大滝温泉の「運龍」は、館名に“地魚の宿”を加えました。朝食に出すひものも、最近は1種類ではなく3種類出しています。このようにお客様のニーズに合わせて、食材やメニューを柔軟に対応していくことは、小型旅館の方がやりやすいですね。一方、大型旅館であっても、オープンキッチンでビュッフェスタイルなら、少量でも地元の食材を出しやすくなります。
若い世代の所得が増えないなか、小さなお子さんがいる家族連れのお客様も、高級な御膳での提供よりも、ビュッフェスタイルで、好きな料理を取って食べられるスタイルの方が楽で、支持されます。
内藤:明神館には立ち湯のお風呂もありますが、これも時代に合わせて造られたのですか。
齊藤:息子の提案でバリのリゾートなどに行くと、ホテルにプールがあります。一方、日本の温泉地には大浴場があります。多くの日本旅館は、庭に鯉が泳ぐような露天風呂を造ってきましたが、私はもっとお洒落な方がいいと思い、直線でデザインした立ち湯を思いつきました。汗を流すお風呂に加え、心を癒す、リゾート風のお風呂も別に造ったのです。そのほかにも、リッツ・カールトンなどを参考に、客室2部屋を「クラブラウンジ」に変えました。
内藤:明神館には和食だけでなく、フレンチのレストランもありますね。
齊藤:息子が10年ほど前にアイデアを出し、取り入れました。お客様からは高い評価を得ています。
内藤:レストラン業もやられていますが、旅館とレストランは、似て非なるものです。レストランは基本的に予約の無いところでのオペレーションが中心ですが、旅館の厨房は大型宴会など、予約のあるなかでのオペレーションが主です。旅館とはまったく異なるオペレーションのレストランを始めたのはどういう考え方からですか。
齊藤:結局、旅館で板前を雇用すると、“予約ありき”の料理しか作らなくなります。一方、レストランは予約なしで10人くらい一度に来られることもありますが、満席でなければ基本的に来客を断る店はありません。レストランでは普通に対応している柔軟な対応力を、宿の厨房スタッフに知ってもらいたかったというのが大きな理由です。
レストラン(ヒカリヤ・懐石花とびら)と、宿の厨房のスタッフが常に入れ替わり、レストランの感覚をつかむことで、前向きな解決策を探ってもらおうと考えました。
内藤:従来の旅館のオペレーションに疑問を持たれ、レストランのオペレーションを旅館の中に入れたいと、意識的に行われたわけですね。
今後の旅館業界をどう見られていますか。
齊藤:お仕着せの1泊2食のサービスは難しくなるのではないかと思っています。1泊2食でも、提供する料理の3分の1はお客様が選べるように対応するのも一つだと思います。
客室だけでも利益を得られる料金体系とし、一方、料理部門も「3品で5千円」といった設定を用意し、少しでも利益を得ていくようなかたちがいいのではないでしょうか。
大事なのは、お客様に選択していただくことです。逆に言うなら基本をホテル型にして、オプションで「1泊2食」のパッケージプランを作ることも一案です。
宿泊のみで1人1万5千円、2人なら3万円(スリーベッドまで可能)などと設定して、和食や洋食のレストランを用意する。そのうえで、宿泊客が予約なしでレストランに入っても対応できる厨房スタッフの習慣をつけていれば問題ないと思っています。
朝食も、少人数の厨房スタッフで対応できる「ビュッフェスタイル」でいいと思っています。これからは、旅館は短時間で生産性をどうやって上げていくかが勝負だと思います。
加えて、当館でも、宿の周辺の山で採れた食材の提供などは、これまでも取り組んでいましたが、せっかくある豊かな自然環境を、宿泊客の「癒し」として、もっと活用できると考えています。滞在中に少し歩いて、川で魚釣りができるように釣り竿を貸しています。お客様が喜んで魚を持って帰ってきたら、料理をしてあげればいいのです。電気自動車(EV)のレンタカーサービスも行っているので、バスで来られた宿泊客がクルマを借りて、松本市内や周辺の美しい山道をドライブできるような準備もしています。リゾートのアイテムをどうやって重ねていくかということが大事だと思っています。
内藤:お仕着せではなく、宿にたくさんのアイテムがあって、お客が自分で選択し、自由に組み合わせができるようにしていくということですね。
齊藤:そうです。お仕着せのものはすぐに飽きられると思います。団体客なら、お客様同士で楽しもうとされますが、夫婦や家族旅行では、周辺の環境や宿が、自分たちをどのように「非日常の世界」で楽しませてくれるのかを期待して来られます。
目の前の川で魚釣りができる用意や、テラスで読書ができる空間づくりが大切になってきます。自然に囲まれたデッキや、テラスでくつろいでいるときに、お客様がドリンクやスイーツを求められたときに、すぐに提供できる商品づくりも必要です。
内藤:明神館では随分早くから従業員に社会保険を完備されていました。多くの旅館はなんとなく家族主義的な部分が残りながら大きくなったため、企業的な経営が追いついていない印象を受けますが、これからの旅館の企業経営的な部分でお考えになっていることはありますか。
齊藤:当館でスタッフを預かっている責任のなかに、一般企業で働いている人と同じ土俵に乗せて上げるということを考えています。ただでさえ、旅館は拘束時間が長いなかで、優秀な人材を育てていくという視点からも、社会保障をきちっと整備しなければならないと思っています。
今年は新卒で11人が入社しました。何人かは辞めてしまうかもしれませんが、残ってくれたスタッフには、いずれ支配人や部長、課長などの幹部になってほしいと思っています。
とくに若いスタッフには「ピープルビジネス」の素晴らしさを教えてあげることが大事です。残念ながら、これまでサービス産業には専門に勉強できる学校がなかった。私は青年部のころから「いずれ海外から多くの旅行者が日本を訪れ、大きなお金を落とすようになる」と言い続けていましたが、国はサービス産業を少し軽く見過ぎていたと、今でも感じています。
内藤:サービス産業の人材育成の議論もずっとされていますが、なかなか進まないですね。
齊藤:文部科学省の認可がいらない、大学校でもいいので、一刻も早くサービス産業の経営と現場を理論的に学ぶ場が必要です。旅館の経営者は従業員を雇うだけでなく、長期にわたって人生設計ができるだけの雇用環境をつくり、いかに幸せにするかを考えなければなりません。
内藤:おっしゃる通り旅館、サービス業全体に企業経営という考え方を入れなければならない時期が迫ってきています。
労務問題についてはどうお考えですか。
齊藤:避けて通れない問題ですね。我われ旅館がきちんと雇用環境を守り、その積み重ねで気が付いたら旅館で働いていて良かったと思えるようにするには、やはり労務問題は避けて通れません。旅館はコンプライアンスのなかで仕事をしており、いい人材をつくるということにつながっていきます。
宿にとって一番怖いのは、スタッフがすぐに退職して出入りすることです。ものすごく大きな損失です。「1年目は赤字、2年目はトントン、3年目に1年目の損した部分を返してもらい、4年目になってようやく自分は会社に貢献していると、胸を張ってほしい」と新卒で入社してくるスタッフには言っています。
内藤:各社の労働時間のデータを見ていると、新人が入るとそれが大きく跳ね上がります。教える側も戦力にならなくなります。
齊藤:新人スタッフには1カ月くらいきちっと勉強させて、それから現場に出すようにしないと、一昔前のように「見て覚えろ」なんてことは無理です。今は母親が台所で料理をしているそばで下ごしらえを手伝ったり、食卓の準備をしたりする子供はほとんどいません。旅館でお客様を迎え入れるには、まずは、そこから教育しなければならないのです。
内藤:長く勤めてもらうためにどのような努力をされていますか。
齊藤:さまざまな評価基準の中で、スタッフがランクを上げていくことも、モチベーションを上げる大きな動機となっています。
――時代の空気感を読み、その時代に合ったニーズを提供する嗅覚はどのように磨かれていますか。
齊藤:それは、旅をすることです。旅をしてサプライズを受け、そのサプライズを自分のものにすることです。そして実行することです。旅をして感銘を受けたら、宿に帰って1つでも実行する。本を読んだら、すべてをやろうとするのではなく、1つでも実践してみる。そのようにして、お客様が感激したアイテムを1つずつ増やしていく。この積み重ねだと思います。
内藤:経費を投資と捉え、どう回収していくか。経費なら減らせばいいが、経費を投資と判断するならば、どう回収するかという考え方ですね。
齊藤:経費と捉えれば、どんどん削っていき、チープ化していきます。そうではなく、削らずにお客様が感動したり、喜んでくれたりして、また来てくれればいいのであって、100円をケチったために、1万円を得ることを逃すようなことはしない方がいいと思っています。
内藤:10%を利益として取って、残りの90%をどうお客に返すかということを考える発想が大事で、多くの経営者はお金をどう取るかを考えがちです。労働生産性も同じで、1分、1秒かけた時間とお金を、どう回収するかという観点が要諦なのです。それを、「人件費は経費だから安くなればいい」などと思わないで、投資であり、どう回収するかという視点がとても大事だと思っています。
齊藤:まったくおっしゃる通りですね。
――ありがとうございました。
※ 詳細は本紙1644号または10月6日以降日経テレコン21でお読みいただけます。