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「提言!これからの日本観光」 観光“自粛”を振り返る

2021年10月16日
編集部

2021年10月16日(土) 配信

 国は日本が日中「事変」と命名された中国との戦争を開始した1937年ごろから、国民に“非常時”として、さまざまな制約を課した。最初は、外国製品の購入と不要不急とされた「観光」などいわゆる行楽旅行の“自粛”であった。

 しかし、国は「観光」が人間の本能に根差す行動で、一率抑制は無理と考えたか、例外として神社や仏閣などを訪れる「敬神崇祖の旅」とスキーや登山、ウォーキングなどは奨励した。40年に国が勧めた伊勢神宮(三重県伊勢市)や橿原神宮(奈良県橿原市)などを巡る「聖地巡拝の旅」は盛況だった。一部民鉄は線路改良や駅の新設も行ったほどである。

 政府は太平洋戦争が始まった後も開戦初期は、同様の旅行を勧めた。修学旅行は42年ごろまで、伊勢神宮をはじめ、東京と京都の社寺巡拝などを中心に実施された。私も42年に、伊勢神宮への旅行に参加した。

 44年に戦勢が悪化したことを受けて、旧鉄道省(現JR各社)は同年4月のダイヤ改正で貨物輸送を強化し、旅客列車を削減することで、本格的な行楽旅行の抑止に乗り出した。さらに、同月から、101㌔以上の長距離利用者には、警察署が発給する冠婚葬祭などへの参加を示す旅行証明書がない場合、私用旅行への乗車券の発売を停止した。

 私は当時、中学生で鉄道マニアだったのでよく駅を見に行ったが、「観光」客らしい人々もよく見掛けた。とくに、発売停止の発表直後から同年3月末までは旅行を計画する人が駅に殺到した。主要駅では乗車券を求める長蛇の列が続いた。長距離列車は超満員だった。抑制された人間の移動本能が我慢の限界に達したからであろう。

 乗客数は4月に落ち着いたが、大きく減少しなかった。警察当局が全国で警備体制の強化を急ぐことから、同証明書の発給が困難になったため、一部地域を除いて同証明書による規制ができなかったからであった。旧鉄道省は急きょ、主要駅の幹部らを旅行調整官に任命し、長距離旅行希望者から個別に旅行理由を聞き、詮議のうえ乗車券を販売した。

 しかし、認否判断が難しく成果を上げられなかったのか、枚数を制限して先着順に結果的には売り出したという。私は空襲警報下を除いた敗戦直前まで、在住する京都市内の観光地で、旅行(観光)客らしい人を見かけない日はなかった。

 住民による自警組織の警防団員や婦人団体などが動員されて「観光客」と思われる人に観光を止めて帰宅を呼び掛けるチラシ配布をしたり観光施設も閉鎖したが、効果は少なかった。

 「観光」は人間の本能に基づく行動で、長い間の抑制は戦争中でも困難だった。陶冶や人格形成につながる行動でもあるので、最低限の観光はコロナ禍でも万全の対策を講じたうえで、持続する必要がある。

 「観光」を長期化するコロナ下でも振興するため、ガイドラインの明示など前向きの対策の確立が今の急務と考える。

須田 寛

 

日本商工会議所 観光専門委員会 委員

 
須田 寬 氏
 
 
 
 

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