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本質隠す論理が溶解 ― 過疎地の雇用を考える(2/11付)

2012年2月11日
編集部

 今冬の雪は、一つの村や町を埋め尽くすような降りようだ。とくに寒波の襲った日本海側に大雪が降り、北日本では雪崩の被害も出た。豪雪地帯では過疎化が進み、高齢者が屋根によじ登って雪かきをするために、毎年のように転落事故が起きている。日本各地から有志らが雪かきを手伝いに行っているが、人間が持つ小さなシャベルで、コンクリートの壁のような雪かきをしても、とても追いつくようなレベルではない。危機的状況から脱するために、大型の除雪車が何台も必要で、このため地方自治体の除雪経費も大きく嵩んでいる。
大雪のたびに重く考えさせられるのが、過疎化・高齢化の問題だ。農村部では子供の数が年々減少し、その数少ない子供たちはやがて地元を離れ、大都市の魅力に吸い寄せられていく。少子化対策も、コンクリートのように硬直化した社会構造のなかで、思うような成果を上げられない状況にある。このまま過疎地域の自然対応力は弱体化してしまうのだろうか。
東京電力はこのほど、企業向けだけでなく、家庭向け電気料金も値上げの方針を示した。枝野幸男経済産業大臣は東電に対して、値上げの根拠となったデータの提出を求めた。これまで電力会社の実質“言い値”で電気料金が設定されていたが、今度ばかりはそうはいかない、との立場だ。当然のことだが、今まではそうではなかった。何にしても、東京電力のような大企業は、まさにコンクリートのように固い、雪壁みたいな存在だ。個人が異論をぶつけようとしても、ショベル一つで豪雪地帯の雪かきをするような徒労感を覚えるだけだ。だが、分厚く灰色に積もった雪の壁も、春が来れば緑色の地面が現れる。
原発がなくても、何とかなる――という事実が、多くの国民に知れ渡るようになった。そして「東京など大都市に電力を供給するために、過疎地が原発事故の犠牲になった」という、国民同士の対立を煽るような本質を隠す論理も溶解し始めた。
もう、そのような論理のすり替えはいらない。過疎地域の雇用を守るために、大きなリスクと抱き合わせの原発をこれまで通り維持するのか。それとも知恵を絞り、新たな産業と雇用の創出に汗を流すか。簡単ではないが、観光に携わる人間にとっても逃げられない喫緊の問題なのだ。
(編集長・増田 剛)

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