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〈旬刊旅行新聞5月1日号コラム〉「旅に飽きる」怖さ 面倒くさくても、小さな賭けを 

2018年5月1日
編集部:増田 剛

2018年5月1日(火)配信 

ラクな旅はつまらない?

 旅を仕事にしていて、一番怖いことは、旅に慣れてしまうことである。「旅慣れた人」というのとは、意味合いが違う。「旅に飽きる」といった方が近いかもしれない。

 何度も訪れたことのある街に仕事で出張し、ホテルで宿泊する。夜7時を過ぎ、お腹が減っているが、体はくたくたという状態はよくある。ホテルの隣にはコンビニエンスストアがある。缶ビールとつまみを買って簡単に済ませる方がラクだ。だが、仕事とはいえ、せっかく遠くまで出張しているのだから、「街を歩いて、苦労して、安くて美味しい店を探して食事をしたい」という想いも捨て切れない。この場合、ベッドに座ってしばらく考える。思い描く店に出会う保証はない。一種の賭けである。未知との出会いが続く旅は、賭けの連続である。

 勤務時間ではないので、あえて厳しい道を選択する必要はない。しかし、旅においてラクな方を選んでしまう自分を許せない気持ちがある。

 温泉宿の宴席で強かに酒を飲み、着替えもままならないほど疲れ果て、すぐに布団で眠りたいのに、浴衣に着替え、1階の露天風呂に向かう。

 傍から見れば、まったくの「ムダな努力」である。

 先日、同僚たちと「何度でも行きたい場所と、何度も行くと飽きてしまう場所があるね」というようなことを、酒を飲みながら話した。

 何度行っても懐かしさを感じたり、新鮮な気持ちにさせたりする場所は、「その土地が風光明媚だから」というだけではない。その街の人たちが旅人とは比較にならないほど、街に愛着と、誇りを持っているからではないか。そして、仮に飽きを感じたなら、訪れる側が「新しい魅力を探しだそう」とする努力を怠っている可能性も考えなければならない。

 旅行作家といわれる先輩方と旅する機会も多々あった。そして、大先輩たちの旅への貪欲さに驚かされた。一度旅に出ると、手ぶらでは戻って来ない。自分の五感を駆使して、目に見えない旅のボストンバッグに入りきれないほどの貴重な経験や、知識を大切に詰め込んで旅を終える。それがたとえ、何度も訪れたことのある街や、観光地であったとしてもだ。

 世にあまり知られていない秘湯が山の奥にあると聞けば、夜明け前に起きて何とか探し出し、我が身を湯に浸からせる。

 美味しいスイーツの店が30㌔先にあると知れば、帰りの時間を大幅に変更してでも、自らの舌で吟味する。「もう一歩先へ」と、足を運ばせるエネルギーに満ちている。

 旅に慣れ、旅に飽きてしまうと、そのような泥くさい努力は煩わしくなってくる。旅行会社がコーディネートしてくれたツアーの方が心地よく感じてくる。一般の方なら、何の問題もない。旅のプロである旅行会社はそのために存在しているからだ。

 けれど、私のような旅を生業とする者は、旅があまりにも心地よく感じてしまったら、それは大きな問題なのである。一から十まで快適な旅は、「誰かに話しても、書いても、つまらない」。旅を生業にする者にとっては、快適なだけの旅は、実りの少ない旅でしかない。

 旅への姿勢は、日々の生活にも通じている。面倒くさくても、小さな賭けを続けていたいと思う。

(編集長・増田 剛)

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