test

「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(159)」富山売薬と産業ストーリー(富山県富山市)

2018年4月22日(日) 配信

富山「産業観光図鑑」は、産業観光施設の一覧図鑑として毎年編集

 例年より1週間以上も早い桜の開花。3月末の富山市内松川べりは、満開の桜に沸き返っていた。その松川べりの県民会館で、今年で14回目を迎える「富山産業観光フォーラム」が開催され、参加させていただいた。

 富山は「世界で最も美しい湾」に認定された1千㍍級の深海富山湾と、背後に聳える3千㍍級の立山連峰が見事なコントラスを描く「海のあるスイス」を標榜している。その立山は、古来よりの信仰の山。立山宗徒たちは、布教のためのお守り札とともに、草木からつくった薬を全国に持ち歩いた。これが「富山売薬」のルーツである。現金の乏しい時代、薬を配置して翌年の訪問時に代金を回収するという「先用後利」のビジネスモデルの原点も、この宗徒衆にあると言われる。

 薬の富山(薬都)が有名になったのは、後の富山藩2代藩主、前田正甫公である。加賀百万石に対して、僅か10万石の分藩富山の殖産興業策として薬が注目された。良薬「反魂丹」は瞬く間に全国に広まった。

「越中反魂丹」の肩板が目印の池田安兵衛商店(富山市TOYAMA NETより)

 こうして富山の薬は、原料を扱う薬種商と、これらを全国に販売する売薬商、いわゆる「売薬さん」たちが活躍する全国一の薬都となった。北陸街道沿いには、金岡邸に代表されるような大きな薬種商の豪勢な建物が残り、今も観光の目玉の1つとなっている。薬種の確保には北前船も大いに活躍したが、中国産薬種の確保には、長崎貿易以外の薩摩の裏ルートを通じて中国にも広く展開した。この密貿易ルートは、今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する薩摩藩の財政難解消の大きな資金源にもなった。

 富山は、今日、日本海側屈指の工業集積を誇るが、その背景には、明治以降、こうした薬産業から派生した製紙、紡績、印刷などの発展がある。さらに昭和に入って、機械、金属、化学、プラスチック、近年は電子機器やアパレルなどの多様な産業を展開させてきた。こうした産業クラスターの源流にあるのが、まさに薬産業である。

 今年のフォーラムでは、こうした富山の「産業ストーリー(物語)」をテーマに、富山国際大学長尾教授とも対談させていただいた。産業観光は、第1世代の1960年代の工場開放の時代から90年前後の大衆化の第2世代、それ以降の、産業観光事業自体が収益を生む第3世代まで発展してきた。すでに食品、飲料、繊維などの最終製品をもつ企業では、年間数10万人の観光客と数10億円の売上を稼ぐ企業もざらになってきた。産業観光の参加者は年間7千人を超え、ニューツーリズムの旗手にもなっている。

 今後は、産業観光をMICEなどインバウンド観光の切り札とすること、観光を通じた地域産業や技術の再生・リノベーションをどのように進めていくのか。つまり地域ブランディングとしての「第4世代」ともいうべき事業手法が求められている。

(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)

いいね・フォローして最新記事をチェック

コメント受付中
この記事への意見や感想をどうぞ!

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE
TOP

旅行新聞ホームページ掲載の記事・写真などのコンテンツ、出版物等の著作物の無断転載を禁じます。