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「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(155)」鍛冶屋ツーリズム(兵庫県三木市)

2017年12月23日
編集部

2017年12月23日(土) 配信

明治20年以前の英国製地金に拘った鉋(かんな)の鍛造/「常三郎」(魚住徹さん)の工房

 神戸市に隣接する兵庫県三木市は、日本最古の金物のまちと言われる。起源は、5世紀中頃、製鉄の祖「天目一箇命(あまのひとつめのみこと)が東播磨で大和鍛冶をはじめたことにある。とくに神功皇后が大陸から韓鍛冶を連れてきて、大和鍛冶との融合による技術革新により、三木には優れた鍛冶技術が根付いたという。

 いずれも神話の世界だが、考古学的にも、三木市志染町(しじみ)窟屋一号墳で発見された鉄釘がひとつのカギを握っている。この釘は、奈良県西部の葛城市(忍海(おしみ)地域)で発掘されたものと同じ形状であり、忍海地域の鍛冶職人が鍛造したものと考えられている。忍海古墳群は鍛冶職人と関わりの深い渡来人が眠る古墳であり、5―6世紀の鉄器づくり(鍛冶生産)の遺構も発見されている。つまり、忍海地域から技術が伝わった三木市志染が三木鍛冶の起源であると考えられているのである。

今年5月の鍛冶博覧会「鍛冶でっせ」に展示された(有)カネジュンの細工鋸の展示

 三木市の転換はもう1つある。1578(天正6)年の羽柴秀吉との合戦である。三木城主、別所長治は2年に及ぶ籠城の末自刃し、三木城下は灰塵に帰した。しかし、秀吉は焼野原となった町の復興に力を注ぎ、免税の札を立て、逃げ延びていた人々を再び城下に集めた。そして各地から大工職人を呼び集め、その道具を作る鍛冶職人も次第に数を増やしていった。他地域に出稼ぎにでた大工職人たちによって三木金物は高く評価され、次第に大工道具が売れるようになった。こうして江戸後期の19世紀には、鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、鑿(のみ)などのほか、包丁や剃刀、鋏(はさみ)など、三木は金物のまちとして大いに栄えた。

 現在、三木金物はドイツなど北欧方面や同業者仲間の間では知名度は高いが、国内の一般消費者の認知はいま一つである。そこで、三木工業協同組合は、一般消費者に三木金物を知ってもらうための新たな戦略を練っている。その1つが「鍛冶屋ツーリズム」である。金物は、大工道具だけでなく、植木や各種農業用、調理(食品)用具など実に幅広い。もちろん家庭用DIYもある。

 こうしたことから、一般消費者に三木の職人とその工房・工場を見てもらう、いわば「産業観光」を企画した。先行の新潟県・燕三条「工場の祭典」や東京大田区の「オープンファクトリー」なども、もちろん参考にしている。

 先ずは新神戸駅裏に移転した「竹中大工道具館」とのタイアップにより、全国の職人や金物店主、各種訓練学校の先生・生徒らを対象とするプロ向けツアーを先行する。次の段階では料理スクールなどと連携した女性客の取り込み、工作や鍛冶に興味のある「鍛冶ガール」などに焦点を当てている。三木といえば西日本一のゴルフ場集積地であり、酒米「山田錦」の一大産地としても有名である。

 こうした地域の強みと連携した「鍛冶屋ツーリズム」の今後の展開に大いに期待したい。

(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)

 

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「「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(155)」鍛冶屋ツーリズム(兵庫県三木市)」への1件のフィードバック

  1. 三木の名物は金物、ゴルフ塲、酒米山田錦に加え、ブドウのピオーネ、丹波黒大豆もあります。

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