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No.434 蟹御殿 ・ 風の森、「ラブ旅館」という新しい価値

2016年6月21日
編集部

蟹御殿・風の森
「ラブ旅館」という新しい価値

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第4回は、佐賀県内で太良獄温泉「蟹御殿」と、奥武雄温泉「風の森」を経営する荒川信康氏が登場。2人専用の宿“ラブ旅館”という新しい価値をつくり出した荒川社長に、内藤氏は「新たな業態を切り開いてほしい」と期待する。

【増田 剛】

 
 

〈「いい旅館にしよう!」プロジェクトⅡシリーズ(4)〉
「蟹御殿」・「風の森」

 ■荒川:私の父は佐賀県嬉野市で生まれ、呉服店の長男として家にお手伝いさんが2人いるような環境で育ちました。なのに、母とは駆け落ちのようなかたちで結婚し、唐津で暮らし始めました。両親はそこでレストランを営んでいましたが、私が小学校5年のとき、父は武雄温泉で「ラブホテル」を始めました。
 私は唐津の中学、高校を卒業後、2年間、専門学校に通い、営業職として会社に就職しました。1年ほど経った1990年のある日、父から「旅館を経営することになった」と電話がかかってきました。
 「どこで旅館をやるの?」と聞くと、「竹崎」というのです。唐津は佐賀県の北の方ですが、竹崎は南の方であまり行ったことのないところでした。次の週に見に行くと、鉄筋コンクリートの旅館がすでに建っていました。
 これが今の「蟹御殿」で、翌91年7月7日に開業しました。バブル崩壊直後でした。負債は8億6千万円で、客室は15室。稼働率80%で見積っても、当時の金利9・8%で計算すると、とても返済できない数字でした。
 私は開業日から3日間、会社を休んで手伝いましたが、「カニが冷たい」「お風呂がぬるい」「サービスが悪い」とお客様は怒りっぱなしで、私はひたすら謝り続けました。
 あまりに不安になり、「もう会社に戻らなければならないけど、宿に入った方がよくないか」と聞くと、父は「大丈夫」と静かに答えました。
 宿と父を心配しながら会社に戻りましたが、翌年の3月に父から「宿に入ってくれないか」と言われました。92年7月18日に私は宿に帰り、入社しました。23歳の誕生日でした。…

 

※ 詳細は本紙1632号または6月27日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

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