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No.424 ホテルナトゥールヴァルト富良野、“お客様満足”をひたすら追求

2016年3月1日
編集部

ホテルナトゥールヴァルト富良野
“お客様満足”をひたすら追求

 高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が対談のなかで、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!」プロジェクトが「第2弾」として帰って来た。シリーズ第1回は、「満足度経営」に切り替えてからお客様満足度評価が上昇し、単価や稼働率も大幅にアップしたホテルナトゥールヴァルト富良野の小林英樹社長が登場する。

【増田 剛】

 
 

〈「いい旅館にしよう!」プロジェクト2シリーズ(1)〉
ホテルナトゥールヴァルト富良野

小林:創業は1972(昭和47)年です。郵便局に勤務していた父に縁があって、スキー場の前で7部屋の「北誠荘」という民宿としてここでスタートしました。母が主に切り盛りしていましたが、77年にアルペンワールドカップ富良野の誘致などでスキーブームが始まったのです。

内藤:当時の富良野は観光地ではなかったわけですね。

小林:夏はもちろん何もなく、冬はやっとスキーがブームになってきたところで父も郵便局を辞め、本格的に民宿旅館の経営を始めました。当時の富良野には宿自体もなく、スキー場の前の駐車場で仮眠するスキー客もいました。国体が開かれ、旅行会社からも部屋がほしいという需要もあり、当社もこのときから増築を繰り返していきました。
 81年からテレビドラマ『北の国から』がスタートし、その後JRのポスターにラベンダー畑が掲載され、ラベンダー畑に多くの観光客が訪れるようになりました。もともと富良野の宿は冬場の4カ月のみで、夏場は休業していましたが、これを機に夏にもお客が来るようになりました。

内藤:現在のホテルはいつ建てたのですか。

小林:旅館は木造として3棟まで増築しており、最大500人宿泊可能なまでに増築していきました。現在のホテルは91年に新築しました。
 私は99年にホテルに戻りました。それまで大学、ホテル専門学校に通いましたが、母の背中を見て育ったこともあり、学校を辞めて調理の世界に踏み込んでいきました。札幌、旭川で修業を積み、ホテルに戻ったのは25歳の時でした。

内藤:ホテルに戻ってきた時はどんな感じでしたか。

小林:バブルがはじけてからホテルを建てていますから大変な状態でした。売上は3億2千万円程度でしたが、借金は約11億円ありました。当時は金利だけでも5―6千万円。減価償却費を決算書に入れると、真っ赤になる状態でした。
 私は調理の仕事をやっていたので、師のように色々教わっていた人を調理長として当社に呼び、調理場の改革をお願いしました。私は最初にフロントに配属され、そこから改革をスタートしました。例えば、コンビニで1200円で売っているワインボトルを5千円で売っていたので当然売れず、まずは売れるところから始めようと、料金の改革などにも着手しました。…

 

※ 詳細は本紙1620号または3月7日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

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