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泡沫的な様相も ― “眩しい”東京五輪が閉幕した後は…

2016年2月11日
編集部

 あとになって気づくことばかりである。私なんぞはその最たるもので、毎度事が起こってから後悔三昧の日々である。さらに残念なことに私の倅たちは輪をかけて愚かである。ちょっといいことがあるとすぐ浮かれてはしゃぎ、その勢いで頭をぶっつけたり、外で遊んで骨折して帰って来たりする。それで、あるとき、倅に「お前、心が風船のように浮ついているから正座して漢字を書け!」と命じた。つまらなそうに漢字を書く倅の姿を見ながら、そういえば自分が小学生のときも常に心が浮ついており、忘れ物が多いとか、クラスのブスな女子たちから「スカートをめくった」のなんのかのと集中砲火を浴び、担任のおっかない女の教師に毎日居残りで漢字を書かされていたことを思い出した。放課後ガランとした教室で、効率的にニンベンやサンズイばかりを一列書いて、そのあと右側の部位を付け足していくスタイルのため、漢字がまったく身に付かなかったのだから、情けない話だ。

 さて、日本では1985年のプラザ合意後にバブル経済が発生した。私の一学年上の世代は就職活動の際、内定者が他社に移らないようにフェラーリを貸し出したり、南の島のリゾートに軟禁したり、なんかオカシイナと違和感を覚えつつも、何しろバブル経済は初体験であったため、なんとはなしに受け流し、後になってバブルとやらが弾けたことを知った。

 90年代後半にはインターネット・バブルが起こった。世間ではIT関連企業が躍進し、一部の方々の間で狂想曲の様相を呈していたが、私などはまったくの蚊帳の外で、こんな冷え冷えとした世の中にバブル経済を謳歌している人がバーチャルではなく、リアルに存在していることが不思議でならなかった。

 それから今、インバウンド消費バブルである。「バブル」ではなく、「トレンド」と見る向きもある。確かに大きなトレンドではあることは間違いないが、泡沫的な様相も見過ごしてはならない。閑古鳥が鳴いていた宿に、突如予約が面白いように埋まっていくこと自体、きっとどこかで自分の実力を超えた大きな力が働いていると思った方がいい。中国の“爆買い”現象はいつまで続くのか。円高でも外国人観光客は今と変わらず訪れるのか。予測はできるが、すべて、一寸先は闇である。

 停滞する国内観光には「好調なインバウンド」、不安な未来には「東京オリンピック」に視点を誘導されやすい昨今だが、むしろ“眩しい”東京五輪があるがために、五輪が閉幕した後の日本の国家未来像が明確に描けないのが、マズイ。多くの経営者は冷静に市場を眺めているはずだが、好機と見るや「我こそ乗り遅れまい」と無反省に時流に乗ろうとする勢力がある。これが狂想曲を生む。都市部にはホテルが続々と開発され、本紙でも記事が追いつかないくらいだ。現在「民泊問題」で政府は規制緩和の方向に大きく舵を切ろうとしている。かつてのバブル崩壊後のように傷を大きくしなければいいが、と思う。

 一方、従来の旅館業法の枠に当てはまらない宿泊形態へのニーズが現れているのも確かである。頑なに現状にしがみついていては、気づいたときには、時代に取り残されていたということになりかねない。何事もそうだが、時流に乗りながらも、冷静な目を持つことが大事なのだろう。

(編集長・増田 剛)

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