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「観光人文学への遡航(14)」 利己愛にならないための憐れみの情

2021年8月24日(火) 配信


 ルソーは、「エミール」において、自己愛と利己愛を明確に区別した。自己愛とは自分が生存していくための本源的な欲求であり、自己愛を求めるときは他人の存在を想定しない。一方、利己愛とは、自分が他者と比較してより優れた存在、恵まれた存在でありたいと願う欲望をいう。

 
 ルソーは、和やかな愛情に満ちた情念は自己愛から生まれ、憎しみに満ちた苛立ちやすい情念は利己愛から生まれると述べている。そして、その自己愛こそが他者への愛につながっていくと言う。

 
 ただ、利己愛も悪いことばかりを引き起こすわけではない。まさに人文学が起こった西洋ルネサンスの勃興は、芸術家たちの利己愛から生まれたと言っても過言ではないだろう。人類の発展、進歩、技芸の発達のモチベーションは往々にして利己愛に基づく。資本主義もまさに利己愛をエンジンに加速していった。

 
 ルネサンス以降、西欧の人々は、個々人が自分の能力を磨き上げ、それぞれの幸福を追求していくことこそが、社会全体の繁栄と幸福につながると信じ、その考え方を世界中に広げていった。

 
 ただ、その只中から、ルソーは「エミール」を通して、人類の発展、進歩、技芸の発達に伴う危険性を指摘していたのである。ルソーは、その人類の発展において、強者によって弱者が餌食になっていってしまうことに対して強烈に批判した。人類の発展の先には、強者と弱者の格差が拡大する世の中が待っているのだ。

 
 そのような世の中でなんとか生き抜くために、たとえ家庭が貧乏でも、受験勉強を頑張れば、その立場の固定化を乗り越えることができると信じて、親は子に教育を受けさせ、子は勉強に励む。しかし、今、その教育こそが格差を再生産する最大の要因となってしまっている。

 
 世の中の人々に、他人を出し抜こうという気持ちがある限り、教育は出自の格差を縮めるどころか、広げていくことになる。

 
 ルソーは、理性の支柱として、憐れみの情を持ち合わせていない人間を「怪物」と呼んでいる。怪物は憐れみの情を持たないだけでなく、他人をも陥れる。それはすべて相手に対する自分の優越を認めさせたいとの欲求に起因する。今はやりの言葉で言うと、マウンティングである。

 
 子供のときにピュアな自己愛を育み、それが青年期となったときに利己愛にならないようにするために、憐れみの情が必要となってくる。憐れみがあれば、自己愛が利己愛につながらず、隣人愛、同胞愛、人類愛へと昇華していくのである。青年期の教育は、他人との比較において優越感を得るための競争心に火をつけることよりも、憐れみの情を持つことの大切さを教えていく必要がある。そこに、観光・ホスピタリティ教育の存在意義がある。

 

コラムニスト紹介 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。日本国際観光学会会長。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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