【特集 No.670】 ビッグホリデーの挑戦 超高齢化社会に“新市場創出”へ
2025年7月1日(火) 配信
ビッグホリデー(岩崎安利社長、東京都文京区)は昨年創業60周年の節目を迎えた。コロナ禍からDX化や生成AIを活用した社内改革を進める一方、超高齢化社会を見据え、介護タクシー事業にも着手。「中小の旅行会社が連携することで、新たな市場創出によって飛躍できる可能性が大きい」と語る。創業間もないころから夢を語り合った本紙・石井貞德社長が聞き手となり、発想の転換により、ウィン―ウィンの関係が築ける仕組みづくりを提案する岩崎社長に話を聞いた。
【本紙編集長・増田 剛】
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□人生のすべてに関わる企業に
石井:ビッグホリデーは昨年、創業60周年を迎えました。
創業間もない、東京都板橋区の常盤台に事務所があった時代から、しばしばお伺いしていましたが、新しいビジネスへ常にチャレンジをされている岩崎社長とは、いつも熱く語り合ってきました。
あのころは前向きな夢の話が多かったですね。
岩崎:よく覚えています。当時、日本の旅行業界はまだ黎明期でした。
ビッグホリデーを創業したのは、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年で、首都高速道路や東海道新幹線が開通した「大きな転換期」でもありました。
旅行会社の金看板といえば「慰安旅行」で、首都圏では熱海温泉や、鬼怒川温泉などへの団体旅行が右肩上がりに増えていきました。一方で、旅行会社が家族旅行を取り扱うことは、ほとんどない時代でした。
創業時の会社名は「北日本ツーリスト・ビューロー」で、当初はスキーを中心に取り扱っていましたが、1970年に大阪万博が開幕し、これが「観光に火を付けた」といっても過言ではありません。
大阪万博には半年間で6421万人が訪れました。これに合わせて当社もブルーバスというバス会社の専売店のようなかたちで「東京ブルー観光」と社名を変更し、大阪万博と京都や伊勢神宮、四国などを組み合わせたバスツアーを企画して大きく成長していきました。
当時はサラリーマンの平均月収が約7万円の時代で、万博ツアーは約4万円と非常に高額でした。これに対して、当社は1万3500円という破格のバスツアーを企画すると、爆発的に売れました。
それから、上高地や尾瀬をハイキングする直行バスツアーなどの企画もヒットしました。71年からは夜行バスでスキー場に行くツアーを募集し、その後のスキーブームにもつながり、大きな収益を上げました。
77年には航空券を扱えるのは大手旅行会社だけだった時代に、全日本空輸(ANA)と代理店契約を結びました。これは画期的なことでした。ANAの販路を拡大するとともに、町の中小旅行会社も航空券を扱えるようになり、全国の中小旅行会社の成長を促す大きな一歩となりました。
石井:とくに、全国旅行業協会(ANTA)の会員会社を通じて航空券の販売を可能にする販売システムの導入は、「業界の革命」となったのではないかと思っています。
岩崎:そうですね。これにより飛行機を使った国内旅行(ビッグホリデーツアー)も数多く企画し、海外旅行も始めました。さらにJRと共同で旅行商品を開発して販路を拡大するなど現在のビジネスモデルの礎を築いたと言えると思います。
1985年に、「余暇創造企業」を目指して、社名を「ビッグホリデー」とし、翌86年に常盤台から本社ビル建設に伴い、現在の文京区本郷に移ってきました。
石井:岩崎社長は常に時代を先取りして、旅行業界において革新的なサービスを展開されてこられた印象が強い。創業当時に語られていた夢が……